NEW YORK SIDE
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 05:04 UTC 版)
「CIRCUS TOWN」の記事における「NEW YORK SIDE」の解説
レコーディングは最初、ニューヨークで2週間、その後ロサンゼルスに移動して1週間というスケジュールで行われた。初めての海外、それまでバンドの中でチマチマやっていたのがいきなりの他流試合。しかも相手は超一級のミュージシャン集団。ニューヨークでのセッションが始まると、緊張のあまりろくに声も出なかった。チャーリー・カレロはお世辞にもフレンドリーとは言えず、ミュージシャンもクセのある連中ばかり。わずかにドラムのアラン・シュワルツバーグとエンジニアのジョー・ヨルゲンセンが励ましてくれたおかげで何とか救われたようなものだったという。当時23歳だった山下にとって、ニューヨークのスタジオでの人間関係は、金の話や人種差別といった不快な部分も含めてとてつもないカルチャーショックだったが、それでもスピーカーから出て来た音が自分が考えたイメージとほぼ同じだったことに安堵したという。それは何より自分の美意識が基本的には間違っていなかったことの証明であり、その後の音楽活動への大きな励みになったという。ティー・ブレイクのとき、「好きなミュージシャンは誰か」とカレロに質問され、ここぞとばかりハル・ブレインやバディ・サルツマンの名を挙げたところ、たった一言「彼らは確かに1967年には一流だった」と言われたという。この言葉が、それまでのポップス・マニアだった山下の音楽的方向性に決定的な転換を与える結果となった。この時代のカレロと仕事をしたことで後に山下は、ロックン・ロールというものの時代を貫く普遍性が体感できたとし、「あの体験がなければ、新しいものには見向きもしないで、恐らく自分が十代に聴いて感動した音楽を追いかけて、オールディーズ少年をやっていただろうな。重要なのはそういうことじゃなくて、ドゥーワップ好きでもラップはできる、こんな感じかなって思った」と話している。 CIRCUS TOWN – (4:11)作詞:吉田美奈子 / 作曲:山下達郎 ニューヨークでよく演奏されていた16ビートの曲を再現した曲。間奏のサックスはブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ末期のメンバーで、ブルース・ブラザーズ・バンドに参加したルー・マリーニ(英語版)。冒頭にピッコロで演奏されるパッセージは、リマスター盤CDのライナーノーツでは「藁の中の七面鳥」からの引用と記されているが、正しくはユリウス・フチークの「剣闘士の入場」と思われる。 WINDY LADY – (5:42)作詞・作曲:山下達郎 もともとはシュガー・ベイブ後期のレパートリーだったが、レコーディングの機会がなく本作に収録することになった。シカゴのリズム&ブルースが好きだったことから、シカゴの通称「ウィンディ・シティ」を想起して作られた曲。山下が持っていったデモテープをすべて聴いたチャーリー・カレロから「君の曲はニューヨークというよりはシカゴの香りがする」と言われ、驚いたのと同時に自分の作曲の語法は正しかったのだと嬉しく感じたという。間奏のサックスはジャズ系スタジオミュージシャンだったジョージ・ヤング(後のマンハッタン・ジャズ・クインテットのメンバー)。後に2種類のベスト・アルバム『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA』、『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』に収録された。 MINNIE – (4:20)作詞・作曲:山下達郎 山下は20代の始め、ジャズやボサノヴァのコード進行に耽溺していて、使ってみたくて仕方がなかったという。この曲も分数和音を多用したイースト・コースト[要曖昧さ回避]風の典型のようなバラード。サビのブラス・セクションのソリは、ビッグバンドを知っている人でなければ決して思いつかないアイデアだという。 永遠に – (4:55)作詞:吉田美奈子 / 作曲:山下達郎 吉田美奈子のアルバム『FLAPPER』のために書き下ろされた曲のセルフ・カヴァー。分数和音が目まぐるしく転調を繰り返す、バリー・マンをかなり意識した作品だという。
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