6項目和平案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:22 UTC 版)
「南オセチア紛争 (2008年)」の記事における「6項目和平案」の解説
ツヒンヴァリがロシア軍に奪還された8月10日、国外の大方の見方 (International reaction to the 2008 South Ossetia War) では戦闘は終結すると思われていた。欧州連合とアメリカ合衆国は、停戦の調停に乗り出そうとした。ところがロシアは、先にグルジアが南オセチアから完全撤退して今後南オセチアとアブハジアに武力を用いないことを宣誓しなければ和平交渉に応じないとした。 ゴリの町で戦闘が行われていた8月12日、ロシアの大統領メドヴェージェフは、グルジアでの軍事行動を終結するよう命令を出したとの談話を発表した。メドヴェージェフは「作戦は成功裏に終結し、平和維持軍と民間人の立場も回復した。侵略者は多大の損害を受けて消えうせた」と語っている。同じ8月12日の遅く、メドヴェージェフは欧州連合の理事会議長、フランス大統領のサルコジと面談し、サルコジの提案した6項目からなる和平案に同意した。その日の夜遅く、グルジア大統領のサアカシュヴィリも同意した。サルコジの最初の計画では、和平案は4項目だったが、ロシアが残り2項目を追加した。グルジアは追加の2項を付帯事項にするよう要望したが、ロシアが拒絶したため、サルコジがグルジアを説得して同意に漕ぎ着けた。8月14日、南オセチアの大統領エドゥアルド・ココイトゥイとアブハジアの大統領セルゲイ・バガプシュも和平案にサインした。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}武力行使を用いない。 (No recourse to the use of force.) 敵対行為の完全停止。(Definitive cessation of hostilities.) 人道支援の保障(Free access to humanitarian aid)ただし「難民の帰還」(and to allow the return of refugees)については合意できなかった。 グルジア軍は開戦前の場所まで撤退する。(The Armed Forces of Georgia must withdraw to their permanent positions.) ロシアから来た軍は開戦前の場所まで撤退する。ただし国際的な対応機構ができるまではロシア平和維持軍は引き続き残る。(The Armed Forces of the Russian Federation must withdraw to the line where they were stationed prior to the beginning of hostilities. Prior to the establishment of international mechanisms the Russian peacekeeping forces will take additional security measures.)ただし「6ヶ月以内に」(six months)という文については合意できなかった。 南オセチアとアブハジアの安定策、及び最終的な平和達成について国際的な会議を開始する。(An international debate on the future status of South Ossetia and Abkhazia and ways to ensure their lasting security will take place.)ただし「国際連合及び欧州安全保障協力機構の決定に基づいて」(based on the decisions of the UN and the OSCE)という文については合意できなかった。 ただし停戦合意後にも戦闘は続いた。『モスクワ防衛の真実』によると、グルジア軍の武器の鹵獲及び破壊のための攻撃は続けられ、「グルジア軍の完全非武装化」の行動が続けられた。イギリスのガーディアンの記者は8月13日、ロシア軍と非正規の軍が進軍を続けている以上「停戦がなされたと言うのはおかしい」と語っている。 8月14日にはグルジアとロシアの合同警察によるゴリの治安維持も破綻した。ロイターが伝えた8月15日の情報によると、ロシア軍は戦争中とほぼ同じトビリシから55キロメートルの地点まで迫っている。ロシア軍は重要な道路交差点であるイゴエチ(Igoeti).mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度59分22秒 東経44度25分04秒 / 北緯41.98944度 東経44.41778度 / 41.98944; 44.41778まで進軍した。同日、アメリカの国務長官ライスはトビリシに向かい、グルジア大統領サアカシュヴィリはその目の前で6項目の合意にサインした。 ロシアとグルジアは8月19日に捕虜の交換を行った。グルジアによると、ロシアの軍人5人と、民間人2人を含むグルジア人15人が交換された。
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