2つの用水路の水源として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 16:44 UTC 版)
「池田ダム」の記事における「2つの用水路の水源として」の解説
ダム建設と同時に香川用水と吉野川北岸用水の建設も開始された。香川用水は阿讃山脈を貫く「阿讃トンネル」(5,032 m)の工事で難航したが1974年(昭和49年)5月30日に通水を迎えた。これにより実に1,000年以上水不足に悩まされた香川県・讃岐平野に安定した水供給を可能にした。一方、吉野川北岸用水であるが農林省(現農林水産省中国四国農政局)による「国営吉野川北岸農業水利事業」として1971年(昭和46年)より工事を開始、全長69.2 kmの用水路を1990年(平成2年)に完成させた。吉野川北岸は地質的に河川が伏流水になりやすく慢性的に水不足に陥る地域であった。豊岡茘敦は1874年(明治7年)に「疎鑿迂言」を著し吉野川北岸用水構想を示したが、実に116年目にして実現することになった。 2つの用水路の水源となるダム湖は「池田湖」と命名されたが、魚類の遡上を図るために「階段式魚道」を設置した。これによりアユ・ウグイ・オイカワ・コイ・ウナギ・ナマズ等の遡上が確認されているが特に5月 - 7月に掛けては魚道をアユの大群が列を成して遡上する光景を目にすることができる。湖上には徳島自動車道の吉野川橋梁が架橋されたが、橋の名称を一般公募しその結果「池田へそっ湖大橋」と命名した。
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