1988年の橋
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1980年(昭和55年)に関越自動車道花園インターチェンジが開通することが決まり、今後交通需要が高まることが予想されることから1979年(昭和54年)8月、花園町長を会長として周辺自治体による「新橋建設促進期成同盟会」を結成して県に陳情を重ねるなどをして橋の早期建設を求めた。 実際に花園インターチェンジの開通後は橋の交通量が増加したため、県は地域交通の円滑化に対処するため、1981年(昭和56年)度に事業化され、'88さいたま博覧会の開催に間に合わせるべく埼玉県が事業主体となり、総工費26億5700万円を投じて永久橋化の事業に着手した。橋の建設は経済性た施工性のほか、周囲との地形や景観との調和が考慮され、それまでの橋のすぐ下流側の位置に、埼玉県としては玉淀大橋に次いで2例目の 移動作業車(ワーゲン)による片持張出し架設工法(カンチレバー工法)により架けられ、1987年(昭和62年) 竣工し、冠水橋より付け替えられた。また、橋の建設に伴い、右岸側に取り付け道路が新設され、さらにこの取り付け道路を延長する形で一般町道として国道254号に至る道路が整備された。これが現在の花園橋である。1988年(昭和63年)2月17日10時より橋の開通式が挙行され、畑県知事、国・県会議員、建設省関係者および花園町長、寄居町長など関係者約150名が出席した。開通式は畑知事らが祝辞を述べた後、ミスさいたま博の挨拶が行なわれ、次に畑知事らによるテープカットが執り行われた。そして県警音楽隊を先導に三代家族による渡り初めが行われた。 開通当時は寄居町と花園町を結ぶ橋であったが、2006年(平成18年)1月1日の市町村合併(平成の大合併)により花園町は深谷市となった。
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1988年の橋
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架け替えは1980年(昭和55年)ごろより上流側に仮設の橋を架けて行われた。そして1988年(昭和63年)に完成し、 8月21日、記念式典が催された。このとき「ペスタロッチ広場」と名付けられた西詰の敷地に、記念碑が建立され、除幕式が挙行された。このほか、葛飾小学校の鼓笛隊による渡り式や夜間の灯ろう流しが行われた。
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