1983〜1990
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1983年7月、アルバム『I wish it could be Christmas everyday』でソロデビュー。契約の都合上ソロアルバムとして発売されたが、実質的には鈴木慶一と鈴木さえ子のユニット「PSYCHO PERCHES」の作品である。「PSYCHO PERCHES」のユニット名は、2人がともに鈴木姓であったことから魚のスズキを表すperchの複数形と、さえ子の名を掛けたものである。 同年7月、青山タワーホールにてファーストコンサート。以後1987年まで定期的にソロコンサートを開催。10〜11月は大貫妙子のツアーに参加。その後も何度か大貫のサポートを務めた。 1984年1月、鈴木慶一と結婚。6月、セカンドアルバム『科学と神秘』発売。本作にゲスト参加したリアル・フィッシュのメンバーとは後々までライブやレコーディングを共にしている 同年9月、日清チキンラーメンCMソング『すぐおいしい、すごくおいしい』をレコーディング。この楽曲は幾度となくリアレンジされ、長年CMに使われ続けている。 1985年7月、サードアルバム『緑の法則』発売。クレジット上は共同プロデュースとなっているが、鈴木慶一によれば、本作は鈴木さえ子のセルフ・プロデュースであるという。1986年6月、12インチシングル『HAPPY END』発売。10月公開の映画『ウホッホ探険隊』の音楽を担当し、第41回毎日映画コンクール音楽賞を受賞した。 1987年6月、ロンドン・レコーディングを経て完成したアルバム『スタジオ・ロマンチスト』を発売。鈴木さえ子のマニアックなブリティッシュ・ロック趣味を反映したゲストが多数参加した。鈴木さえ子は音楽雑誌『POP IND'S』誌上で、3曲で共同プロデュースを務めたXTCのアンディ・パートリッジに気に入られ、XTCのメンバーに加わらないかと勧誘されたと述べている。ただしこの件については、アンディ・パートリッジ自身が音楽雑誌『ストレンジ・デイズ』No.11のインタビューで否定している。 1988年2月、編曲・演奏で全面バックアップした矢口博康のソロアルバム『Gastronomic』発売。12月、企画アルバム『セルフ・コントロール・ミュージック 活力』に新曲を4曲提供。1989年1月、市川準監督より映画『ノーライフキング』の劇伴担当依頼を受け、制作途中にあったオリジナル・アルバムの方向性を大きく転換し、さらに主人公の母親役として出演もすることになった。12月、映画『ノーライフキング』劇場公開とともにサウンドトラックアルバム『NO LIFEKING NO MUSIC』発売。1990年は高橋幸宏のツアーと大貫妙子のツアーにドラマーとして参加12月には、本人の選曲によるベスト盤『The Very Best Of Saeko Suzuki』が発売された。1988〜1990年の3年間は作曲家としての活動が多く、アイドル歌手等に十数曲を提供している。
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