1983〜1990とは? わかりやすく解説

1983〜1990

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 14:08 UTC 版)

鈴木さえ子」の記事における「1983〜1990」の解説

1983年7月アルバムI wish it could be Christmas everyday』でソロデビュー契約都合上ソロアルバムとして発売されたが、実質的に鈴木慶一鈴木さえ子ユニットPSYCHO PERCHES」の作品である。「PSYCHO PERCHES」のユニット名は、2人がともに鈴木姓であったことからスズキを表すperch複数形と、さえ子の名を掛けたのである同年7月青山タワーホールにてファーストコンサート。以後1987年まで定期的にソロコンサート開催1011月大貫妙子ツアー参加その後何度大貫サポート務めた1984年1月鈴木慶一結婚6月セカンドアルバム科学と神秘発売本作ゲスト参加したリアル・フィッシュのメンバーとは後々までライブレコーディングを共にしている 同年9月日清チキンラーメンCMソング『すぐおいしい、すごくおいしい』をレコーディング。この楽曲幾度となくリアレンジされ、長年CM使われ続けている。 1985年7月、サードアルバム『緑の法則発売クレジット上は共同プロデュースとなっているが、鈴木慶一によれば本作鈴木さえ子セルフ・プロデュースであるという。1986年6月12インチシングルHAPPY END発売10月公開映画ウホッホ探険隊』の音楽担当し第41回毎日映画コンクール音楽賞受賞した1987年6月、ロンドン・レコーディングを経て完成したアルバム『スタジオ・ロマンチスト』を発売鈴木さえ子マニアックブリティッシュ・ロック趣味反映したゲスト多数参加した鈴木さえ子音楽雑誌POP IND'S』誌上で、3曲で共同プロデュース務めたXTCアンディ・パートリッジ気に入られXTCメンバー加わらないかと勧誘されたと述べている。ただしこの件については、アンディ・パートリッジ自身音楽雑誌ストレンジ・デイズ』No.11のインタビュー否定している。 1988年2月編曲演奏全面バックアップした矢口博康ソロアルバム『Gastronomic』発売12月企画アルバム『セルフ・コントロール・ミュージック 活力』に新曲を4曲提供1989年1月市川準監督より映画ノーライフキング』の劇伴担当依頼を受け、制作途中にあったオリジナル・アルバム方向性大きく転換し、さらに主人公の母役として出演もすることになった12月映画ノーライフキング劇場公開とともにサウンドトラックアルバム『NO LIFEKING NO MUSIC発売1990年高橋幸宏ツアー大貫妙子ツアードラマーとして参加12月には、本人選曲によるベスト盤The Very Best Of Saeko Suzuki』が発売された。19881990年3年間は作曲家としての活動多くアイドル歌手等に十数曲を提供している。

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