1983〜1986年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 06:50 UTC 版)
「全日本F3000選手権」の記事における「1983〜1986年」の解説
1983年秋、ターボエンジン隆盛に伴いF1で余剰気味となっていたコスワースDFVエンジンの転用方法として、バーニー・エクレストンが新カテゴリー、F3000を提案。 1984年7月、FISA、1985年からF3000規定施行を決定。 1984年11月30日、JAF、1988年までの全日本F2選手権継続を決定。 1985年3月24日、ヨーロッパF3000選手権第1戦がシルバーストン・サーキットで開催される。 1985年8月、F1オーストリアグランプリと併催のヨーロッパF3000・第9戦エステルライヒリンクをホンダランド関係者が視察。 1985年9月、ホンダランド(現:モビリティランド)と全日本F2関係者間で会議。1987年の全日本F2・最終戦からF3000マシンと混走、1988年からF3000移行で合意。 スピードスターレーシング、マーチから1986年の全日本F2選手権用シャシーをF3000仕様で購入。 1986年4月13日、国際F3000選手権第1戦がシルバーストン・サーキットで開催される。 1986年10月13日、スピードスターレーシング、鈴鹿サーキットでF3000マシンでテストを行う。 1986年11月19日、1987年から全日本F3000シリーズ開催を決定。 1986年12月1〜4日、各タイヤメーカー、鈴鹿サーキットでF3000用タイヤのテストを行う。
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