高御座と皇居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 01:43 UTC 版)
調度品としての「高御座」の保管場所そのものから天皇の正式な在所を権威づけるだけの伝統的・文献的根拠は明確ではない。仁藤敦史によれば、古代日本では高御座と京職などが存在することが首都の要件であったとする。高御座は天皇の所在地を示すものという見方があり、これに従えば古代から大極殿に高御座は常設されていたとなるが、延喜式や中世の史料によれば高御座は組み立て式で、即位や朝賀などの重要な儀式のときだけ使われ、終われば撤去されるものであったとされる。 高御座の成立は大極殿の成立より早いと見られているが、国家的儀式を大内裏大極殿で開催されるようになってからは大極殿で、大極殿の廃絶後は様々な殿舎で行われ、中世では太政官庁、南北朝の代には天皇即位の際に北朝で設営されたことを示す記録がある。のち後柏原天皇(1464 - 1528)が紫宸殿で即位式をおこない高御座は紫宸殿に移され、以降高御座は紫宸殿にある。天明の大火(天明8年、1788年)のさいには焼失し、幕末(弘化四年)にいったん平安朝様式で復興したものの安政元年(1854年)の大火でまた紫宸殿と共に消失してしまい、そのため明治天皇の即位式(慶應四年)の際には簡素な御帳台(清涼殿の昼御座と同形)が代用された。 現在も高御座は、京都御所内の紫宸殿に安置されている。東京奠都後も、大正天皇・昭和天皇の即位の大礼は、高御座のある京都御所で行われた。第125代天皇明仁の際は、警備上の問題 から、東京の皇居で即位の礼が行われたが、高御座と御帳台は陸上自衛隊のヘリコプターによって皇居まで運ばれ、大礼終了後に京都御所の紫宸殿に戻された。しかし第126代天皇徳仁の際には社会情勢の変化などが考慮され、運搬は民間業者へ委託。計8台のトラックによる陸路での運搬となった。
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