金剛型の用兵思想の変遷とは? わかりやすく解説

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金剛型の用兵思想の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 02:24 UTC 版)

金剛型戦艦」の記事における「金剛型の用兵思想の変遷」の解説

戦前戦中大日本帝国海軍戦略思想は、「漸減邀撃作戦」により潜水艦航空機利用して事前に戦力可能な限り漸減し、戦艦部隊同士による砲撃戦により雌雄を決するいわゆる艦隊決戦思想であった金剛型第三戦隊として、潜水艦陸上機による攻撃が行われた後に決行される夜戦において、前衛部隊水雷戦隊重巡部隊)の先頭に立ち大口径砲によって水雷戦隊重巡部隊が敵警戒網を突破するのを支援した後に戦場から離脱し黎明以降主力戦艦部隊である第一第二戦隊を含む全兵力結集して行われる艦隊決戦引き続き参加することとなっていた。このため金剛型大改装の折に水雷戦隊とともに夜戦参加できるように機関換装し、30kt前後速力発揮できるようになった。 ところがいざ太平洋戦争が始まると、本来は戦艦出撃する前の露払いであった航空機活躍により、艦隊決戦が行われる機会訪れなかった。従来決戦主役とされた長門型伊勢型扶桑型などは、艦隊決戦兵力とされたまま遊兵態となった。 一方金剛型は、空母同一行動を取るのに十分な速力持っていたことと、日本海軍保有する戦艦の中では最も旧式で、攻防ともに最弱であったゆえに、損耗したとしても戦力に及ぼす影響低かったため、使い潰して構わない戦艦として空母機動部隊随伴し金剛型は、同じく随伴する水雷戦隊重巡部隊とともに航空攻撃の後に残存している水上艦殲滅や、敵機部隊随伴する水上部隊から空母護衛し空母損傷時には曳航期待されていたが、水上部隊砲戦を行う機会訪れなかった。 しかしながら空母機動部隊活躍の場多かったことから、金剛型ひっぱりだことなり、本来は金剛型4艦で第3戦隊編成していたのが、金剛榛名第3戦隊と、比叡霧島第11戦隊に分割された。 戦争進みガダルカナルでの苦戦が続くようになると、敵航空基地砲撃粉砕することが陸軍により求められた。当初巡洋艦駆逐艦主体とした作戦実行していた海軍だったが、敵艦隊との遭遇戦起きたり砲撃成功して大きなダメージ与えられ早期復旧されしまうため、戦艦大口径砲による撃砕考えられた。 この際大和型使用検討されたが、海面狭く水深不正確なため座礁恐れがある猛反対受けたため投入されなかった。その代わりに、艦隊決戦における戦力としては期待されておらず、失って惜しくない老朽であった金剛型巡洋艦部隊とともに敵航空機の広い索敵範囲の外から侵入して砲撃、さらに敵攻撃圏外への撤退行え速力有していたこともあり投入された。 このヘンダーソン基地艦砲射撃艦砲射撃による被害少なかったものの、一式陸攻による爆撃もあって敵航空機燃料弾薬大きな被害与え一度成功終わったかに見えた。しかし、戦略目標である滑走路破壊に関して戦闘機用の第二滑走路事前偵察発見できておらず無傷のままであり、第一滑走路自体1日使用可能な状態に修復されてしまった。その結果第三次ソロモン海戦勃発し比叡霧島喪失したが、残る金剛榛名その後数々戦い参加した結果として日本海軍で最も古い4隻の戦艦が最も活動する機会が多いという、皮肉な事態となった

※この「金剛型の用兵思想の変遷」の解説は、「金剛型戦艦」の解説の一部です。
「金剛型の用兵思想の変遷」を含む「金剛型戦艦」の記事については、「金剛型戦艦」の概要を参照ください。

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