選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムに仕えて
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「ハンス・アルブレヒト・フォン・バーフース」の記事における「選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムに仕えて」の解説
父や叔父の影響を受け、ハンス・アルブレヒト・フォン・バーフースはすでに若い頃から軍務を志す。1650年、歩兵としてブランデンブルク選帝侯領の軍に入営すると後年、将官となってからしばしば自ら言い及んでいたように、「槍兵から身を立てた」のである。 最初期の戦役にはオットー・クリストフ・フォン・シュパー(英語版)元帥、ヨアヒム・エルンスト・フォン・ゲルツケ(ドイツ語版)、ゲオルク・フォン・デアフリンガーやヴァルデック=アイゼンベルク伯ゲオルク・フリードリヒの諸将に従い、参加している。その中で少尉としてスウェーデン側につき、ポーランドと戦った他、ワルシャワの戦いにも参加した。軍務の中、最初の数年間における昇進はゆっくりとしたものであり、1670年1月になっても彼はいまだに少尉であった。中尉に任じられたのは、ブランデンブルクがネーデルラント側で参戦した仏蘭戦争中の1672年に入ってからであり、上級大尉(Oberwachtmeister)に昇進したのは1673年のことである。遅々とした昇進により除隊を考えたのか、1673年から1677年にかけてノイマルク(英語版)のゾルディン(英語版)周辺で農園を購入した。 1677年12月25日に大佐に昇進すると、1678年初頭には没した砲兵大将、クリスティアン・アルブレヒト・フォン・ドーナ(英語版)の連隊を託され、これを率いてスウェーデン領ポメラニアでスウェーデン軍に対する戦役に参加する。それまでに、ブランデンブルク選帝侯は陣営を変えていたのであった。1678年9月、リューゲン島に上陸するとオットー・ヴィルヘルム・フォン・ケーニヒスマルク(英語版)元帥の軍団に対する攻撃に加わる。結局、ブランデンブルク軍はシュトラールズントとフォアポンメルン(英語版)全土を征服することができた。1683年4月、彼はパイツ要塞(ドイツ語版)の総督に任じられ、同年6月9日には少将に昇進した。8月にはトゥルフゼス・フォン・ヴァルトブルク家(ドイツ語版)のヴォルフガンク・クリストフ(ドイツ語版)伯爵少将と歩兵1,000名、竜騎兵200名を率いてオスマン帝国と戦う皇帝レオポルト1世を援助している 。両名はポーランド軍の一部と合流したが、9月12日における第二次ウィーン包囲の終了までに戦いに参加できなかった。なぜならウィーンとベルリンの宮廷間で、様々な条件を巡って合意が成立しなかったからである。それでも9月21日、重要なグラーン要塞の解放には貢献し、ポーランド国王ヤン3世ソビェスキはこれに関してブランデンブルク選帝侯へ、書簡の中で格別な満足を表明している。また両名はシュレッツァイン要塞の占領でも功を立て、トルコ軍が過去の戦争で鹵獲したと思われるブランデンブルクの古い大砲を奪還した。バーフースはそれを勝利の印として、選帝侯の許へ持ち帰ることを許されている。これによって、ハンガリーにおける戦役は終了した。トルコ軍の中央ヨーロッパへのさらなる進出は阻止され、ハンガリー北西部はハプスブルク家の手に戻り、部隊は辺境伯領に帰還したのである。 1685年1月10日、バーフースはシュパンダウ要塞(英語版)の総督・司令官に就任した。平時には、行政上の職務も課された。例えば同年4月には、選帝侯からフュルステンヴァルデ(英語版)の市参事会(ドイツ語版)と市民との争議を調停するよう命じられている。彼が提示した和解案を、選帝侯は承認した。 1685年12月27日、バーフースは改めてハンガリーへの遠征を準備するよう命令を受ける。選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムは皇帝に8,000名の援軍を約束し、その中にはバーフース連隊に属する578名の大隊も含まれていたのである。1686年4月17日、選帝侯はクロッセン(英語版)で閲兵を行う。そして軍団はハンス・アーダム・フォン・シューニンク(ドイツ語版)中将に率いられ、シュレーズィエンを経由してハンガリーへ向かった。6月にブダ近郊に到着したその部隊は同月27日、帝国軍総司令官のロレーヌ公シャルル5世に視察される。9週間以上に及ぶ攻囲戦の末、9月2日に敢行された総攻撃ではシャルル・ウジューヌ・デュ・クロイ(英語版)中将が右翼集団を、ハンス・アルブレヒト・フォン・バーフースが左翼集団を指揮した。トルコ軍は城砦に撤退し、翌日降伏した。これによって当時、オスマン帝国のハンガリーにおける首都であったブダは解放された。ブランデンブルク軍は10月に撤収を開始し、12月7日にシュレーズィエンのグリューンベルクに到着するとそこで解散する。
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