第二次ウィーン包囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/29 14:44 UTC 版)
第二次ウィーン包囲(だいにじウィーンほうい)は、1683年に行われたオスマン帝国による最後の大規模なヨーロッパ進撃作戦である。オスマン軍はオーストリアの首都にして神聖ローマ皇帝の居城であるウィーンを大軍をもって攻撃したが、拙速な作戦により包囲戦を長期化させ、最後は反オスマン帝国を掲げて結集した中央ヨーロッパ諸国連合軍によって包囲を打ち破られるという惨憺たる敗北に終わり、この包囲戦を契機にオーストリア、ポーランド、ヴェネツィア、ロシアらからなる神聖同盟とオスマン帝国は16年間にわたる長い大トルコ戦争に突入した。その結果、歴史上初めてオスマン帝国がヨーロッパ諸国に大規模な領土の割譲を行った条約として知られる1699年のカルロヴィッツ条約締結に至った。
- 1 第二次ウィーン包囲とは
- 2 第二次ウィーン包囲の概要
- 3 第二次ウィーン包囲の意義
- 4 参考文献
固有名詞の分類
オーストリアの戦闘 | ソルフェリーノの戦い 第九次イゾンツォの戦い 第二次ウィーン包囲 ライプツィヒの戦い パヴィアの戦い |
オスマン帝国の戦闘 | メギッドの戦い モハーチの戦い 第二次ウィーン包囲 プルート川の戦い アレクサンドリア砲撃 |
神聖ローマ帝国の戦闘 | レニャーノの戦い ブーヴィーヌの戦い 第二次ウィーン包囲 パヴィアの戦い トゥットリンゲンの戦い |
ポーランドの戦闘 | ヴァルナの戦い ジョーウチ・ヴォーディの戦い 第二次ウィーン包囲 レスナーヤの戦い フンツフェルトの戦い |
ロシアの戦闘 | ナルヴァの戦い コノトプの戦い 第二次ウィーン包囲 レスナーヤの戦い ポルタヴァの戦い |
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