軍事面の成果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/13 10:06 UTC 版)
江南機器製造局は同治年間には東アジア最大の兵器工場であり、清朝の軍事力と重工業品生産力を向上させた。例えば1867年には毎日平均15丁のモーゼル銃と各式の弾薬を生産する能力があり、李鴻章はこの時の銃器・弾薬の生産が捻軍の反乱鎮圧にある程度有益だったと認めている。弾丸の他にも、製造局では1868年に初めて国産の蒸気船(木製の船体)「恵吉号」を生産し、1891年には中国で初めて鋼鉄を精練した。 しかし全体的には、江南製造局が晩清期に生産した軍事物資の品質は良くなかった。例えば歩兵銃のレベルは高くなく、性能も良くなかった、しかも生産コストは完成品を外国から直接買うより高かった。造船事情も似たようなもので、1868年の最初の蒸気船製造後も続々と数隻の蒸気船を作ったが、建造速度は遅くて生産コストも高い上に燃費も悪く、結果的に外国船を買った方がかえって安上がりだった。 製造局の生産コストが高くなったのには、いくつかの理由があった。 製造原材料(鋼材・鋼管)のほとんど全てを、輸入によって調達していた。 人員の給料が高すぎた。 調達物資の量が過剰だった。 人員数が過剰だった。 但しこれらについては矛盾する資料の存在から否定的な意見もある。
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