軍事面での支柱、ジッキンゲン
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「騎士戦争」の記事における「軍事面での支柱、ジッキンゲン」の解説
フランツ・フォン・ジッキンゲン(ドイツ語版、英語版)(1481-1523)はドイツ南西部(オーベルライン地方)のクライヒガウ(ドイツ語版、英語版)出身の帝国騎士だった。その本拠はヴォルムスの西方のエーベレンベルク城(ドイツ語版、英語版)で、その領地はアルザス地方にまで及んでいた。領内には鉄や水銀の鉱山があり、その収入によってライン地方の最大の帝国騎士の地位を築いていた。 また、ジッキンゲンは武芸に秀でており、1517年からは皇帝マクシミリアン1世の軍事指揮官に任じられている。1519年にドイツ南部の有力諸侯の一人、ヴュルテンベルク公国のウルリヒと、ドイツ南部の諸侯によるシュヴァーベン同盟とが対立した戦いでは、ジッキンゲンがウルリヒ追放軍の主力を担った。 しかしジッキンゲンは性格に難があり、周囲との諍いが絶えなかった。ジッキンゲンは何かと口実をつけて近隣諸侯に武力攻撃をしかけたが、これは実際には賠償金目当てのフェーデだった。1515年から1518年には帝国自由都市ヴォルムス市、ヘッセン方伯フィリップ1世が治める領邦都市ダルムシュタットやロートリンゲン公アントワーヌを攻撃して金貨35,000枚をせしめ、メッツ市を約2万の兵で包囲して金貨20,000枚を脅し取った。これらの都市や大司教領に出入りする行商人や隊商を襲うこともあった。1519年に後ろ盾となっていたマクシミリアン1世が死ぬと、次期皇帝の選挙まっただ中の帝国自由都市フランクフルト市にさえフェーデをしかけた。
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