謎とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 05:43 UTC 版)
番組開始からわずか3週間弱で姿を消した彼女らは「喫煙組」とも呼ばれている。だが、樹原だけは写真にしっかり写っていたにもかかわらず、降板から十数日後に番組復帰しており、なぜお咎めなしだったのか、現在でも不明のままである。一方、10番の佐藤は写真に写っているのがスカートだけで顔自体は写っていなかった。 この件は、フジテレビ側の早急かつ厳正な対応とともに『夕やけニャンニャン』とおニャン子クラブが当時まだ無名に近かったのが幸いして、それほど騒がれずに終息していった。その後の爆発的盛り上がりを見せていく『夕やけニャンニャン』とおニャン子クラブの運営には深傷は残さなかったが、「喫煙組」の存在は当初からタブー扱いされることとなる。『週刊文春』に当該記事が載ったのと「喫煙組」が番組から消えた際も、『夕やけニャンニャン』側は番組内外で何の説明もしておらず、二年半に及ぶ番組の放送期間中とおニャン子クラブの活動期間中もほとんど沈黙を貫いた。しかし、1986年発行の公式本『こニャン子クラブ編 あぶな~いおニャン子』(フジテレビ出版)に番組スタッフが見解を掲載。『週刊文春』に対しては取材対象が未成年だったことを配慮してほしかった、彼女たちに対してはかわいそうなことをしてしまったと苦渋をにじませている。1987年発行の公式本『こニャン子クラブ編 おニャン子白書』(フジテレビ出版)にも同様の旨を載せているが、どちらにも樹原がこの件に参加していたことは記述されていない。 この件の直後に出したデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」でおニャン子クラブが大人気となり、それにともなって『夕やけニャンニャン』もローカル番組の枠を越えて全国ネット規模へと放送地域が拡大されていった。しかし、不祥事発覚の前まで友田はメンバー内でエース格に位置していたことから「セーラー服を脱がさないで」メインボーカルのひとり(後述する『爆報! THE フライデー』内では、“センター”と呼称)に内定しており、喫煙現場に居合わせた他の者らも中心的メンバー(後述する『爆報! THE フライデー』内では、“一軍メンバー”と呼称)であったため、活動黎明期の(世間的には)認知度が低い事柄ながらも、おニャン子クラブの形態と運命を大きく変えた事柄となった。 1980年代末、奥田はグラビアモデルとして復帰、1997年には榎田がテレビ東京系のバラエティ番組『ASAYAN』内で行われたオーディションに参加していたが、芸能界に定着することはできなかった。吉野と佐藤の現在の消息は、各種マスコミによる調査でも不明となっている。 2004年に発売されたDVDソフト『おニャン子白書 '85 4~6月』(『夕やけニャンニャン』のおニャン子クラブ出演部分を中心に編集されたダイジェスト版)では彼女たちの出演場面が極端にカットされてはおらず、少ないながらもその姿が観られる。
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