記録飛行とは? わかりやすく解説

記録飛行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/13 17:01 UTC 版)

サヴォイア・マルケッティ S.64」の記事における「記録飛行」の解説

1928年5月31日アルトゥーロ・フェラーリンカルロ・デル・プレーテは、トレ・ファヴィア(ラディスポリの)とアンツィオの間を51往復して3つの世界記録樹立した6月3日着陸した時は、周回飛行距離世界新記録の7,666 km (4,791 mi)、滞空時間新記録58時間34分に加え5,000 km (3,110 mi) の距離を平均139 km/h (87 mph)で飛行する速度記録樹立した。この記録飛行の成功受けて、この飛行ローマ - ニューヨーク大西洋横断飛行予行演習であると発表された。 1カ月後フェラーリンとデル・プレーテはS.64に搭乗して実際に大西洋横断ニューヨークではなく南大西洋横断してブラジルまで飛行した7月3日夜にモンテチェーリオを離陸し夜間サルデーニャ通過し翌朝早くにはジブラルタル至った4日カサブランカとヴィッラ・シスネロス(Villa Cisneros)を経て夕刻にはカーボベルデ諸島通過しブラジル向かった5日朝にはペルナンブーコ州無線到達空域達しナタール近くブラジル沿岸横切ってリオデジャネイロへの着陸向けて南へ飛行続けたが、悪天候のためナタールへ引き返さざるを得なかった。燃料残り少なくなってきていたが依然として悪天候阻まれ飛行場丘陵陰にあるためにナタールへの着陸諦めねばならなかった。更に北へ160 km (100 mi) 飛行続けたが、最後にはトウロスの海岸不時着する事態になったブラジル郵便機がフェラーリンとデル・プレーテのナタールへの最初飛来その後リオデジャネイロへの飛来報じたため、両都市では歓迎準備をしていた。S.64は砂地への着陸機体損傷していたためにリオデジャネイロへは船で運ばれリオデジャネイロに到着する機体ブラジル寄付された。S.64はイタリアからの8,100 km (5,030 mi) を48時間14分で飛行した国際航空連盟FAI)は、公式にはこの飛行をモンテチェーリオ - ナタール間7,188 km (4,500 mi) の大圏距離飛行による隔地飛行記録世界記録認定したリオデジャネイロでのお祭り騒ぎは数週間続いたが、フェラーリンとデル・プレーテが8月11日にS.62機のデモンストレーション飛行中墜落したことで終わりを告げた。デル・プレーテはこの事故での負傷原因5日後に死去した1930年に「S.64bis」と命名されたS.64の改良型が、フェラーリンとデル・プレーテの飛行による滞空時間周回飛行距離世界記録塗り替えることを試みた5月30日から6月2日にかけてウンベルト・マッダレーナ(Umberto Maddalena)とファウスト・チェッコーニ(Fausto Cecconi)は周回コースの8,188 km (5,088 mi) を67時間14分で飛翔し飛行距離滞空時間世界新記録樹立した2人はS.64での隔地飛行記録挑戦準備をしていたが、1931年3月19日機体ピサ沖合墜落しマッダレーナとチェッコーニは整備士のジュゼッペ・ダ・モンテ(Giuseppe Da Monteと共に死亡した機体残骸事故の原因究明のための証拠特定できないほど広範囲失われていたが、事故調査団はクランクシャフト折損したことで飛散したプロペラ機体各所損傷を負わせたと推定した

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記録飛行

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サヴォイア・マルケッティ SM.79」の記事における「記録飛行」の解説

もともとレースであった本機1937年予定されていたチャールズ・リンドバーグ大西洋横断飛行達成10周年記念したニューヨーク-パリ飛行機レース参加するになったこのため、5機が真紅レース仕様改造され、SM.79CSと名づけられた。結局、このレース中止になったものの続くイストルダマスカスパリ飛行機レース参加し、見事1位から3位までフィニッシュ成し遂げ表彰台独占したこの上位3機は更に長距離飛行用に改造の上SM.79Tと名づけられ、1938年ローマリオデジャネイロ間の大西洋横断記録飛行を行ったムッソリーニ息子ブルーノを含む6名のパイロット乗り込んだ「I-BISE」、「I-MONI」、「I-BRUN」の3機は1月24日ローマ出発途中ダカール給油の後リオデジャネイロに向かい25日夜「I-BISE」、続いて「I-BRUN」が無事到着した(「I-MONI」は途中プロペラ故障のため後れをとった)。このときの記録ローマリオ間9650kmを飛行時間24時間22分というものであった

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