見代発電所
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「豊橋電気 (1894-1921)」の記事における「見代発電所」の解説
位置:北緯34度55分55.7秒 東経137度26分39.3秒 / 北緯34.932139度 東経137.444250度 / 34.932139; 137.444250 (見代発電所跡) 日露戦争後の需要増加にあたり、豊橋電気では新発電所として見代発電所(けんだいはつでんしょ)を建設した。豊橋から北へ約20キロメートル離れた愛知県南設楽郡作手村大字保永(現・新城市作手保永)字四郎田にあり、豊川(寒狭川)支流巴川から取水する水力発電所であった。 逓信省の資料によると1906年(明治39年)10月に水利権を取得。同年11月の豊橋電気への社名変更が行われた株主総会にて発電所新設が決議され、2年後の1908年(明治41年)5月に発電所の運転開始に至った。発電設備はペルトン社製ペルトン水車にウェスティングハウス・エレクトリック製三相交流発電機(周波数60ヘルツ)という組み合わせで、当初は1組の設置であったが1910年(明治43年)に1組増設され2台体制となっている。発電所出力は当初250キロワット、増設後は360キロワットであり、その発生電力は10キロボルトの電圧で豊橋近郊の宝飯郡下地町(現・豊橋市下地町)に置かれた新設変電所へと送電された。 こうして完成した見代発電所も従来の発電所と同様に不具合があり、設計時に水量測定を誤ったため渇水時には出力が200キロワット程度へと減少する、水路に木樋を多用したため水路維持管理に費用・労力を要する、といった欠点を持った。また発電所完成により、1909年1月より見代集落21戸に電灯がついた。新城町内の点灯よりも早く、奥三河で最初の電灯である。 1917年(大正6年)5月に豊橋電気から東三電気へ売却された。その後発電所は三河水力電気、中央電力、中部配電と渡り、中部電力によって1959年(昭和34年)6月に廃止された。
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見代発電所
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詳細は「豊橋電気_(1894-1921)#見代発電所」を参照 豊橋電気からの事業引継ぎより三河水力電気との合併に至るまで運転され続けた唯一の発電所が見代(けんだい)発電所である。南設楽郡作手村大字保永(現・新城市保永)にあり、豊川水系巴川から取水する水力発電所であった。運転開始は1908年(明治41年)5月で、出力は360キロワット、1943年(昭和18年)4月以降320キロワット。1951年(昭和26年)の電気事業再編成で中部電力に引き継がれたのち同社の手により1959年(昭和34年)6月に廃止された。
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