見代発電所とは? わかりやすく解説

見代発電所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 15:13 UTC 版)

豊橋電気 (1894-1921)」の記事における「見代発電所」の解説

位置北緯3455分55.7秒 東経13726分39.3秒 / 北緯34.932139度 東経137.444250度 / 34.932139; 137.444250 (見代発電所跡) 日露戦争後需要増加にあたり豊橋電気では新発電所として見代発電所(けんだいはつでんしょ)を建設した豊橋から北へ20キロメートル離れた愛知県南設楽郡作手村大字保永(現・新城市作手保永)字四郎田にあり、豊川寒狭川支流巴川から取水する水力発電所であった逓信省資料によると1906年明治39年10月水利権取得同年11月豊橋電気への社名変更が行われた株主総会にて発電所新設決議され2年後1908年明治41年5月発電所運転開始至った発電設備はペルトン社製ペルトン水車ウェスティングハウス・エレクトリック三相交流発電機周波数60ヘルツ)という組み合わせで、当初1組設置であった1910年明治43年)に1組増設され2台体制となっている。発電所出力当初250キロワット増設後は360キロワットであり、その発生電力10キロボルトの電圧豊橋近郊宝飯郡下地町(現・豊橋市下地町)に置かれ新設変電所へと送電された。 こうして完成した見代発電所も従来発電所同様に不具合があり、設計時に水量測定誤ったため渇水時には出力200キロワット程度へと減少する水路木樋多用したため水維持管理費用労力要する、といった欠点持った。また発電所完成により、1909年1月より見代集21戸に電灯がついた。新城町内の点灯よりも早く奥三河最初電灯である。 1917年大正6年5月豊橋電気から東三電気売却された。その後発電所三河水力電気中央電力中部配電渡り中部電力によって1959年昭和34年6月廃止された。

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見代発電所

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東三電気」の記事における「見代発電所」の解説

詳細は「豊橋電気_(1894-1921)#見代発電所」を参照 豊橋電気からの事業引継ぎより三河水力電気との合併に至るまで運転され続けた唯一の発電所が見代(けんだい発電所である。南設楽郡作手村大字保永(現・新城市保永)にあり、豊川水系巴川から取水する水力発電所であった運転開始1908年明治41年5月で、出力360キロワット1943年昭和18年4月以降320キロワット1951年昭和26年)の電気事業再編成中部電力引き継がれたのち同社の手により1959年昭和34年6月廃止された。

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