見付学校の開校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/02 09:28 UTC 版)
1872年(明治5年)に学制が発布されると、1873年(明治6年)5月には教師の任命や就学札の発行などの開校準備が進められ、8月には宣光寺や省光寺などを仮校舎として見付学校が開校した。見付学校は第二大区第十二番中学区第一小学である。しかし仮校舎は江戸時代の寺子屋となんら変わりがなく、西洋風の近代的な校舎を建築しようとする機運が高まっていった。大久保忠尚の門下生である古沢脩が建設を主導し、淡海國玉神社神官の大久保忠利が寄進した境内に本校舎の建設を計画。名古屋の堂宮大工である伊藤平右衛門(後の9代目伊藤平左衛門)が建築を手がけた。1874年(明治7年)10月に着工すると、1875年(明治8年)1月11日には上棟式を行い、1875年8月7日に竣工した。1883年(明治16年)8月には3階部分を増築し、今日の3階建+2層(5階建)となった。
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