葬送と墓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:32 UTC 版)
平安時代から少なくとも鎌倉時代の前半にかけて、今日のような葬式はなかった。多くの記録に「今日葬送」とあるのは火葬・土葬の行われる当日に限る。つまり遺体の処理そのものを指す。天皇を例外とすれば古くは墓もなかった。庶民だけではなく貴族でもそうである。「『餓鬼草紙』の葬送の地」で墓として塚が築かれ、そこに目印としての枕石や生木が植えられ、釘抜や卒塔婆の井垣で囲う様を紹介したが、これらはいずれも時間の経過とともに腐朽し忘却に委ねられる。継続的な死者供養の装置ではない。「古き塚は鋤かれて田となりぬ」である。「鎌倉時代の最上流の埋葬」で法華堂を見たが当時はこの法華堂も朽ちるに任された。それが変わるのは後述する上流階級への石塔の浸透である。 墓は一つでないことがある。土葬の場合は葬所は墓所であるが、火葬の場合は葬所(火葬場所)と墓所は多くの場合異なる。その両方を祀るか、慈円のように墓所だけを祀り「火葬の所は只忘却に任せればよい」とするかは個人の意志・遺言による。両墓制という言葉も石塔に関係する。供養に石塔を立てることが浸透しだしたときに墓所に石塔を立てるケースが単墓制、現在の墓と同じである。しかし土葬の場合は死穢の地との観念がつきまとう。そして供養のための石塔を土葬の場所とは別の場所に立てることが近畿周辺に見られる。つまり埋め墓と参り墓の分離である。これを両墓制という、しかしこれは一つであったものが分離したのではなく、それ以前からそもそも埋葬と供養は別物であった。
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