船長の心情とは? わかりやすく解説

船長の心情

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 02:36 UTC 版)

ひかりごけ事件」の記事における「船長の心情」の解説

ジャーナリスト合田一道は、船長1989年平成元年12月亡くなるまで、15年間に及ぶ取材続けた。その何度かの取材のたび、多く語らず断片的にしか答えようとしない船長発言をつなぎ合わせ、一冊の本を著すに至った。それによると、身体精神的に極限へと追い詰められ船長食人まで及んだが、なぜ食人至ってしまったかは自身でも理解できなかったという。食人をしたことは認識しており、その際様子は、はっきりと覚えていた。閻魔大王裁かれ恐ろしい夢も見た生還した後、警察船長実家訪れて来た際は「あのことだな」と、すぐに察したと言い事情聴取が始まると、あっさりと食人認めた取り調べ行った検察官の話によると、「船長言葉少なでした。なぜ食べたかという訊問にたいして船長は、横になっている○○仮名)の屍を見ているうちどうしても我慢できなくなり、股のあたりを包丁でそいで味噌煮て食べたその時の味は『いまだ経験したことのないほどおいしかった』と述べましたまた、鉞(まさかり)で頭部割り脳みそ食べた時が『もっとも精力がついたような気がした』と述べています」。 船長死体損壊罪1年実刑判決受けたが、終始「人を食べるなどということをしている私が懲役1年という軽い罪で済まされるはずがないと言い続けその後数十年間自分死刑でも足りない」と、その重い罪の意識背負い続けた周囲からは「あいつが人食いか」と言われることもあったが、船長は、それは事実であるから黙っていたという。自殺図り、崖から飛び降りたこともあった。共に番屋過ごした船員対す殺害疑念について船長は、「たった二人かいないところで、二人して励まし合って生きようとしてたのに。その大事な相手まで殺す必要がどこにあるのかね」「なんで殺さなければならないの」と答え、哀しげな表情をしたという。小説ひかりごけ』の影響などもあり、「殺して食べた」という風評世間広まっても、それに反論しても仕方ない船長は何も言えなかった。 船長死の直前、ペキンノ鼻に再び向かうことを望んでいたが、叶わなかった。

※この「船長の心情」の解説は、「ひかりごけ事件」の解説の一部です。
「船長の心情」を含む「ひかりごけ事件」の記事については、「ひかりごけ事件」の概要を参照ください。

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