船長の心情
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ジャーナリストの合田一道は、船長が1989年(平成元年)12月に亡くなるまで、15年間に及ぶ取材を続けた。その何度かの取材のたび、多くを語らず断片的にしか答えようとしない船長の発言をつなぎ合わせ、一冊の本を著すに至った。それによると、身体・精神的に極限へと追い詰められた船長は食人まで及んだが、なぜ食人に至ってしまったかは自身でも理解できなかったという。食人をしたことは認識しており、その際の様子は、はっきりと覚えていた。閻魔大王に裁かれる恐ろしい夢も見た。 生還した後、警察が船長の実家に訪れて来た際は「あのことだな」と、すぐに察したと言い、事情聴取が始まると、あっさりと食人を認めた。取り調べを行った検察官の話によると、「船長は言葉少なでした。なぜ食べたかという訊問にたいして船長は、横になっている○○(仮名)の屍を見ているうちどうしても我慢できなくなり、股のあたりを包丁でそいで味噌で煮て食べた。その時の味は『いまだ経験したことのないほどおいしかった』と述べました。また、鉞(まさかり)で頭部を割り、脳みそを食べた時が『もっとも精力がついたような気がした』と述べています」。 船長は死体損壊罪で1年の実刑判決を受けたが、終始「人を食べるなどということをしている私が懲役1年という軽い罪で済まされるはずがない」と言い続け、その後、数十年間「自分は死刑でも足りない」と、その重い罪の意識を背負い続けた。周囲からは「あいつが人食いか」と言われることもあったが、船長は、それは事実であるからと黙っていたという。自殺を図り、崖から飛び降りたこともあった。共に番屋で過ごした船員に対する殺害の疑念について船長は、「たった二人しかいないところで、二人して励まし合って生きようとしてたのに。その大事な相手まで殺す必要がどこにあるのかね」「なんで殺さなければならないの」と答え、哀しげな表情をしたという。小説『ひかりごけ』の影響などもあり、「殺して食べた」という風評が世間に広まっても、それに反論しても仕方ないと船長は何も言えなかった。 船長は死の直前、ペキンノ鼻に再び向かうことを望んでいたが、叶わなかった。
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