肥後阿蘇氏浜御所跡出土品とは? わかりやすく解説

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肥後阿蘇氏浜御所跡出土品

主名称: 肥後阿蘇氏浜御所跡出土品
指定番号 421
枝番 00
指定年月日 1986.06.06(昭和61.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書
員数 一括
時代区分
年代
検索年代
解説文: 阿蘇氏の蟠居した矢部の地は、熊本県上益城郡山中にあって北部阿蘇郡東部清和村接した緩やかな斜面地である。その北方には緩やかな起伏台地続き豊富な湧水もあって、古くから集落営まれ、浜御所跡もこの台地上にある
 浜御所跡については、県立矢部高等学校校庭が、阿蘇大宮司居館跡地であるという伝承と、現存する小字名から推測されていたが、昭和四十八年からの発掘調査で、その存在明らかにした。
 本遺品一括は、浜御所庭園跡地の泉水北西池汀沿う位置から二基の土壙発見され、その土壙中から発見されたものである。両土壙共、人頭大の礫石覆われており、土壙大きさは径一〇センチ余のほぼ円形深さ七〇センチであった第一土壙の覆石中央には、土師質の燈明皿一箇置かれ土壙内には焼土木炭混入多量に認められ、そこに金延板包物ガラス三口白磁玉取獅子置物白磁置物等、稀少小物類納められていた。
 一方第二土壙の覆石は少し落ち込み遺品は壙底からやや上部整然と並べられいたもの見られ木箱等に納められていたことも考えられる遺品全て中国から輸入され陶磁品類で、青磁壺のほか、若干器形大小の差はあるが、全て一対であること、そのうち染付瓶以外は中国時代三彩緑釉といった、いわゆる日本交趾焼こうちやき】と呼んでいる軟陶である。
 発掘調査所見によると埋納者は、浜御所当主である阿蘇大宮司であり、その時期は浜御所島津氏侵入によって落去する天正十二年(一五八四)前後であろう推定されている。
 わが国では、いわゆる交趾焼製品これだけまとまって出土した例は他になく、他遺物との共伴関係が把握でき、製作時期、その用途窺える貴重な遺品である。特に鳥形水注等は、今日でもボルネオ島では伝世して祭器として用いられるという。従来交趾三彩呼ばれベトナム産とされてきたこれらの焼物は、中国時代後半十六世紀)、福建省、または広東省付近地方窯焼かれたことが解明されつつある。
 本遺品交趾焼実態究明欠かせない貴重な資料として、日本陶磁研究上の意義大きくわが国への伝播とその用途示唆する遺品としても、その学術的価値は高い。



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