聖徳太子非実在論とは? わかりやすく解説

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聖徳太子非実在論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/01 08:07 UTC 版)

大山誠一」の記事における「聖徳太子非実在論」の解説

大山は、飛鳥期にたぶん斑鳩宮住み斑鳩寺法隆寺)も建てたであろう力王族、厩戸王実在否定していないが、推古天皇皇太子かつ摂政だった聖徳太子実在について否定している。 大山によればこれらは、720年完成した『日本書紀』において、当時権力者であった藤原不比等長屋王らと唐から帰国した道慈らが創造した人物像である。 その目的は、大宝律令で一応完成した律令国家主宰者である天皇モデルとして、中国聖天子像を描くことであったその後さらに、天平年間疫病流行という危機の中で、光明皇后が行信の助言により聖徳太子加護求めて法隆寺ある様々な聖徳太子関係史料作って聖徳太子信仰完成させた。 また鑑真最澄が、その聖徳太子信仰利用し増幅させていった。 (『聖徳太子日本人あとがきをもとに) 戦前津田左右吉戦後小倉豊文田村圓澄らが聖徳太子事蹟検証し、それらのほとんどが後世仮託であることを指摘していた。大山はさらに踏み込んでそれらは『日本書紀』舞台藤原不比等らが、法隆寺舞台光明皇后らが捏造したものとした。 なお、大山は『天孫降臨の夢』等で「学問的な根拠をあげた反論皆無であり、すでに<聖徳太子実在しない>という理解学界内外定着したと言ってよいと思う」と述べているが、実際に学会において複数反論が行われている。

※この「聖徳太子非実在論」の解説は、「大山誠一」の解説の一部です。
「聖徳太子非実在論」を含む「大山誠一」の記事については、「大山誠一」の概要を参照ください。

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