かんげん‐さい〔クワンゲン‐〕【管絃祭】
読み方:かんげんさい
1 広島県の厳島神社で、陰暦6月17日の夜に行う祭礼。神輿(みこし)を船に安置して、海上で管絃を吹奏する。
かんげんさい〔クワンゲンサイ〕【管絃祭】
管絃祭
管絃祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 00:20 UTC 版)
管絃祭(かんげんさい)は、旧暦6月17日に行われる例祭。大阪の天神祭(大阪天満宮)、島根のホーランエンヤ(城山稲荷神社)とともに「日本三大船神事」に数えられる。 平清盛が始めたとされる都で行われていた管絃遊びを元にした神事で、管絃船(御座船)が対岸の地御前神社へ渡御したのち還御する。厳島が禁足地とされていた時代は、対岸の地御前神社から厳島神社に行き管絃を合奏する神事であった(詳しくは「管絃祭」を参照)。 管絃祭の様子(昼) 管絃祭の様子(夜)
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管絃祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/30 11:23 UTC 版)
広島市と厳島神社管絃祭との関係は江戸時代から始まる。1701年(元禄14年)暴風雨に遭遇した管絃船を江波 (広島市)の伝馬船と阿賀 (呉市)の鯛網船が助けたのがきっかけとなり、江波と阿賀の漕伝馬船が管絃船を引くようになった。これは現在まで続いている。 この江波の漕伝馬には厳島へ行く前に「川上り」という行事がある。江波から漕伝馬船で本川を逆上ってお世話になったところで船を3回西廻りにまわすという挨拶回しをし、広島住吉神社や空鞘稲生神社前の雁木からそれぞれの神社境内に入り安全祈願する。 また江戸時代には「御供船」という管絃船をお供する船も出ていた。1711年(正徳元年)紙屋町から御供船を出したのが最初で、次第に各町で出すようになり祇園祭の山車のごとく各町が競って飾り立て各河川で組み立てられた。この御供船とそれらを観覧する遊覧船が船団となって管絃祭をもりあげた。ただ近代に入り架橋によって飾り立てた御供船が通過することができなくなったため川単位で御供船を出していたがその後は廃れてしまった。 この御供船の風習を残し厳島管絃祭を真似たものが、広島住吉神社の例祭すみよしさんの広島管絃祭になる。厳島管絃祭の前日に行われるいわゆる前夜祭のような存在であり、住吉神社の御神体を乗せた御座船を江波の漕伝馬が引き、本川や元安川を逆上って渡御する。
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