住吉祭
住吉祭
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住吉大社の例祭(例大祭、1年で最も重要な祭)を中心とした祭は「住吉祭(すみよしさい/すみよしまつり)」と称される。大阪を祓い清める祭りとして「おはらい」とも称され、「大阪三大夏祭り」の一つにも数えられる。かつては旧暦6月30日を中心に斎行されたが、明治7年(1874年)の太陽暦移行後は7月31日を中心に斎行される。『住吉大社神代記』に「六月御解除、開口水門姫神社」「九月御解除、田蓑嶋姫神社」と見えるうちの前者(南祭)を継承するものとされるが、後者(北祭)は現在までに廃絶している。 現在の祭儀次第は次の通り。 7月第3月曜日(海の日)・火曜日 - 神輿洗神事 7月30日 - 住吉祭宵宮祭 7月31日 - 夏越祓神事、住吉祭例大祭 8月1日 - 渡御祭、頓宮祭、荒和大祓神事 7月第3月曜日(海の日)から翌火曜日にかけて行われる神輿洗神事(みこしあらいしんじ)は、例大祭(住吉祭)に先立って海水で神輿を祓い清める神事である。かつては6月15日宵の満潮に長峡の浦で行われたが、現在では大阪湾沖合の海水を使って住吉公園において行われ、御旅所(住吉高燈籠)で一晩奉安したのち、翌日に還御する。 7月31日の夏越祓神事(なごしのはらえしんじ)では、五月殿での大祓式ののち、伝統衣装で着飾った夏越女・稚児の行列が茅の輪くぐりを行う。この夏越祓神事は「住吉大社の夏越祭」として大阪府選択無形民俗文化財に選択されている。次いで第一本宮において例大祭(れいたいさい)が斎行され、祭典ののちに神楽「熊野舞」・住吉踊が奉納される。 翌日の8月1日には、住吉神の神霊を乗せた神輿が堺の宿院頓宮(堺市堺区宿院町東)までの渡御を行う。渡御は昭和37年(1962年)以降は自動車列となっていたが、平成17年(2005年)からは鳳輦・神輿列が復活し、街道を練り歩き大和川では川の中を進む。宿院頓宮に到着後は頓宮境内の飯匙堀(いいがいぼり)において荒和大祓神事(あらにごのおおはらいしんじ)を行う。この飯匙堀は海幸山幸神話の潮干珠を埋めたところと伝わる場所で、この地で本社で行なったのと同様の茅の輪くぐりを行う。 豊臣期大坂図屏風で描かれる荒和大祓神事
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住吉祭
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「住吉神社 (広島市中区)」の記事における「住吉祭」の解説
住吉祭(すみよしさい)は、旧暦の6月14日・15日に行われている祭事。本殿に設置された茅の輪をくぐる。 別名、「住吉さん」、「すみよしさん」、厳島神社の管絃祭にならって「広島管絃祭」とも呼ばれ、少なくとも大正時代から昭和の初めに掛けて、胡子神社の胡子講・圓隆寺のとうかさんと並んで「広島三大祭り」と呼ばれていた。第二次世界大戦中は社殿内でのみ行われていたこともあった。 1798年(寛政10年)に発生した大火後、翌1799年(寛政11年)に現在地に遷座したことから、遷座した日が夏の例祭の日になった。 1980年代から1990年代頃は約20万人の人手があり、神社周辺に200件の屋台が並び、花火も打ち上げられていた。 祭りの呼び物の一つは漕伝馬船でる。江戸時代から、旧暦の6月17日に行われる厳島神社の管絃祭に向かう漕伝馬船が住吉神社の周りに集まっていた。その後、1911年(明治44年)に厳島神社の管絃祭にならう形で始まった。1988年(昭和63年)以降、漕ぎ手の不足や昭和天皇の体調不良による自粛で長らく途絶えていたが、2011年(平成23年)以降完全復活した。 漕伝馬船について、以前は初日のみの開催で、元安川の明治橋 (広島市)を出発し、空鞘稲生神社で旋回、住吉神社へ向かっていた。空鞘稲生神社へ向かうことを「里帰り」と言い、住吉神社が空鞘稲生神社の摂社であった関係で呼ばれている。 漕伝馬船復活以降は祭り両日開催され、2016年(平成28年)の場合は住吉橋を出発して相生橋から元安川に入り萬代橋 (広島市)で旋回して元の住吉橋に戻るコースを取っている。 祭りの中で、神楽も行われている。
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