第3中間期とは? わかりやすく解説

第3中間期(大司祭国家、第21 - 26王朝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:13 UTC 版)

古代エジプト」の記事における「第3中間期(大司祭国家、第21 - 26王朝)」の解説

第20王朝末期にはテーベ中心とするアメン神官団が勢力増していき、紀元前1080年頃にはアメン神官団の長ヘリホルがテーベ神権国家アメン大司祭国家)を立てたことでエジプトは再び南北分裂することとなった紀元前1069年成立した第21王朝首都ペル・ラムセスからタニスへと移しアメン大司祭国家名目的な宗主権及ぼした紀元前945年にはリビュア傭兵の子孫であるシェションク1世下エジプト第22王朝開きアメン大司祭国家併合して再統一を果たすが、その後は再びアメン大司祭独立したほか下エジプトに5人の王が分立するなど混乱極めたこうした中、エジプトの強い文化的影響受けていた南のヌビア勢力拡大し紀元前747年にはピアンキヌビアから進撃しエジプト全土制圧し第25王朝開いた。しかしその後メソポタミア強力な帝国築いたアッシリア圧迫さらされ紀元前671年にはアッシリア王エセルハドンの侵入をうけて下エジプト陥落一時奪回成功したものの、アッシュールバニパル王率いアッシリア軍に紀元前663年にはテーベ落とされ第25王朝ヌビア人ヌビアへと撤退した

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第3中間期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 14:12 UTC 版)

カルナック神殿複合体の歴史」の記事における「第3中間期」の解説

エジプト分裂ファラオは北を支配しアメン大司祭テーベ支配する。北の王らは何も築造しないでほとんど複合体に付け加えなかったようであるが、大司祭たち、特にヘリホル(英語版)(紀元前1080-1070年頃)およびパネジェム1世は、コンス神殿装飾し続けた

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第3中間期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 06:54 UTC 版)

ファラオの一覧」の記事における「第3中間期」の解説

国力減退したエジプト統一分裂繰り返す三度目動乱期を迎える。この時代過去二度中間期比較する国内外史料多く残されているため、政治権力変移詳しく復元されている。 王権引き継いだ第21王朝暫くの間南部神官勢力国内二分し過去の王たちの建築資材宝物流用するなどして辛うじて威光保っていた。こうした混迷1世紀程の時間をかけて徐々に収束し、両勢力間で進められ婚姻政策によって政治権力統合向かったまた、この時代には第19王朝時代からエジプト流入し始めたリビア移民の子孫が要職に就くようになるその内一人であるシェションク1世第21王朝王女の夫となって王位継承権獲得し第22王朝開いたシェションク1世親族大司祭据えて国内の再統一達成した上、隣国イスラエル侵攻する等、大国エジプト外的な威信回復させる事に成功したリビア王家血族結び付き重んじシェションク1世後継者たち地方権力者との婚姻積極的に行うことで、親族取り込んでいった。しかし、これは多数傍流生み出す結果繋がり、王が亡くなる度に後継者を巡る争いが起こる要因にもなった。そのため王家内紛忙殺されるようになり、やがて離反した傍流一つが第23王朝興すと、多く外戚もそれに続いた。また第24王朝など、縁戚持たない諸侯中にも独立するものがいた。 王朝名在位(年)王名英字表記即位名大司祭国家(テーベ) 前1080 - 1074年頃 ヘリホル(Herihor) ヘムネチェルテピエンアメン 前1074 - 1070年ピアンキ(Piankh) - 前1070 - 1032年パネジェム1世(Pinedjem I) カーケペルラー・セテプエンアメン 前1054 - 1046年頃 マサハルタ(Masaharta) - 前1046 - 1045年頃 ジェドコンスエフアンクウ(Djedkhonsuefankh) - 前1045 - 992年メンケペルラー(Menkheperre) ヘムネチェルテピエンアメン 前992 - 990年スメンデス2世/ネスバネブジェド2世(Smendes II) - 前990 - 969年パネジェム2世(Pinedjem II) カーケペルラー・セテプエンアメン 前969 - 945年プスセンネス3世/パセブカエムニウト3世(Psusennes III) - 第21王朝(タニス) 前1069 - 1043年スメンデス1世/ネスバネブジェド1世(Smendes I) ヘジケペルラー・セテプエンラー 前1043 - 1039年アメンエムニスウ(Amenemnisu) ネフェルカラー 前1039 - 991年プスセンネス1世/パセブカエムニウト1世(Psusennes I) アアケペルラー・セテプエンアメン 前993 - 984年アメンエムオペト(Amenemope) ウセルマアトラー・メリアメン・セテプエンアメン 前984 - 978年頃 大オソルコン(Osorkon the Elder) アアケペルラー・セテプエンラー 前978 - 959年頃 サアメン(Siamun) ネチェルケペルラー・セテプエンアメン 前959 - 945年プスセンネス2世/パセブカエムニウト2世(Psusennes II) ティトケペルウラー・セテプエンラー 第22王朝(ブバスティス)(リビア朝) 前945 - 前922年シェションク1世(Sheshonk I) ヘジケペルラー・セテプエンラー 前922 - 前887年オソルコン1世(Osorkon I) セケムケペルラー 前887 - 前885年シェションク2世(Sheshonk II) ヘカケペルラー・セテプエンラー 前885 - 前872年タケロト1世(Takelot I) ウセルマアトラー・セテプエンラー 前872 - 837年オソルコン2世Osorkon II) ウセルマアトラー・セテプエンアメン 前837 - 798年シェションク3世(Sheshonk III) ウセルマアトラー・セテプエンラー 前798 - 前785年シェションク4世(Sheshonq IV) ヘジュケペルラー・セテプエンラー 前785 - 778年パミ(Pami) ウセルマアトラー・セテプエンアメン 前778 - 前740年シェションク5世(Shoshenq V) アアケペルラー 前740 - 前730年ペディバステト2世(Pedubast II) セヘテプイブエンラー 前730 - 716年オソルコン4世(Osorkon IV) アアケペルラー・セテプエンアメン 第23王朝(テーベヘラクレオポリスレオントポリス)(リビア朝) 前880 - 860年頃 ハルスィエセ(Harsiese) ヘジケペルラー・セテプエンアメン 前840 - 815年タケロト2世(Takelot II) ヘジケペルラー・セテプエンラー 前829 - 804年ペディバステト1世(Pedubast I) ウセルマアトラー・セテプエンアメン 前829 - 804年イウプト1世(Iuput) ウセルマアトラー 前804 - 798年シェションク6世(Sheshonq VI) ウセルマアトラー・メリアメン 前798 - 769年オソルコン3世(Osorkon III) ウセルマアトラー・セテプエンアメン 前774 - 759年頃 タケロト3世(Takelot III) ウセルマアトラー 前759 - 755年ルドアメン(Rudamun) ウセルマアトラー・セテプエンアメン 前755 - 750年イニ(Ini) ウセルマアトラー 前754 - 720年ペフチャウアバステト(Peftjauawybast) ネフェルカラー 前754 - 前715年イウプト2世(Iuput II) ウセルマートラー ヘルモポリス 前754 - 725年頃 ニムロト(Nimlot) 第24王朝(サイス朝) 前727 - 720年テフナクト(Tefnakht) シェプセスラー 前720 - 715年バクエンレネフ(Bakenranef) ウアフカラー

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