第二次シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争をめぐってとは? わかりやすく解説

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第二次シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争をめぐって

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 15:10 UTC 版)

ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の記事における「第二次シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争をめぐって」の解説

ポーランド蜂起ヨーロッパ中で自由主義ナショナリズム活気づかせた。デンマークでもナショナリズム高まりシュレースヴィヒ・ホルシュタイン問題を再びデンマーク有利に設定し直そうという世論強まったとりわけ1863年12月クリスチャン9世デンマーク王即位するデンマークドイツ連邦対す強硬外交が目立つようになったドイツ連邦各国でもドイツ・ナショナリズム高まりフリードリヒ8世アウグステンブルク公としてシュレースヴィヒ・ホルシュタイン統治者擁立され、両国一触即発状態になった1863年7月パーマストン卿は庶民院での演説で「イギリス責務デンマーク独立統一権利を守ることである。もしデンマーク独立侵されることがあれば、これに抵抗するのはデンマーク一国だけではないだろう。」と演説したが、ヴィクトリア女王が「デンマークのためにドイツ諸国戦争するなど馬鹿げている」と強硬に反対したため積極的な介入はできなかった。 1864年2月1日よりプロイセン・オーストリア連合軍シュレースヴィヒ進攻開始し第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争勃発したデンマーク兵力でも装備でもドイツ劣ったが、デュッペル要塞籠城する作戦功を奏して戦況膠着状態となったパーマストン卿はオーストリア海軍北海出てくることを警戒し参戦ちらつかせオーストリア牽制したが、ヴィクトリア女王不介入方針変わらず、「これ以上好戦的な方針取り続けるなら議会解散する」とパーマストン卿を脅迫するようになった。また参戦軍事的に障害多かったイギリス陸軍ドイツ諸国陸軍比べる脆弱であったし(ビスマルクは「イギリス陸軍など、もしドイツ上陸してきても地元警察逮捕させればよい」などと豪語していた)、イギリス海軍精強ながら世界各地散らばっており、ただちに北海召集するのは難しかった。 そこでパーマストン卿は国際会議によって事態の収拾図ろうとした。この提案に対してプロイセンオーストリアフランスロシア支持表明したデンマークははじめ反対したが、やがてデュッペル要塞幾ら頑張っていても列強救援得られない悟り国際会議開催賛同した。こうして1864年4月25日から外相ラッセル卿議長とするロンドン会議開催されたが、パーマストン卿もラッセル卿も親デンマーク的な態度取り過ぎて反発を買い、さらにヘルゴラント海戦デンマーク海軍オーストリア海軍勝利したことでデンマーク態度強硬になり、加えてドイツ側譲歩気配見せなかったため、会議難航した。またパーマストン卿はこの頃持病痛風悪化して自宅療養多くなっていたため、積極的な調停乗り出せなかった。 6月15日閣議では会議進展絶望視したラッセル卿が、会議フランス任せてはどうかと提案したが、パーマストン卿は却下したこの際に彼はラッセル卿に「フランスヴェネツィアからオーストリア追いだしライン川左岸勢力拡大しようとしている連中だ。彼らのことなど信用できない」という私見述べている。ヴィクトリア女王日記によればパーマストン卿はフランスイギリス対ドイツ戦争の泥沼に陥れて、その間フランスライン川沿岸獲得しイタリア全土革命起こすつもりだろうと懸念していたという。 6月24日6月25日閣議では会議決裂場合イギリスどうすべきかが論じられたが、最終的にイギリスはこの問題から手を引くことが閣議決定された。ロンドン会議6月25日決裂しデンマークドイツ連邦戦争再開された。戦況ドイツ軍優位に進み7月20日デンマーク降伏しシュレースヴィヒホルシュタイン放棄することとなったロンドン会議失敗により7月5日から7月6日にかけて貴族院庶民院双方パーマストン不信任案決議案提出されたが、庶民院採決では賛成295票、反対313票でかろうじて不信任案否決された。一方貴族院では賛成177票、反対168票で不信任案可決された。しかしパーマストン卿は貴族院より庶民院の方が重いとして総辞職解散総選挙拒否した

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