第一次大戦後のハンガリーでの運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 01:52 UTC 版)
「LK II」の記事における「第一次大戦後のハンガリーでの運用」の解説
ハンガリーはドイツと同じく、第一次世界大戦での敗戦国側であり、軍事兵器の購入と所有権は連合国によって厳しく管理されていたが、にもかかわらず、ドイツから機関銃装備型のLK II 14両を密かに購入した。1920年春に最初の2両が到着し、残りの12両はドイツの軍縮が始まった後にバラバラに出荷された。 ハンガリー政府は、休戦協定に続くドイツ革命を目撃し、ドイツの路上で戦車や装甲車が使用されるのを見ていた。また、ハンガリーは、ルーマニア、チェコスロバキア、ユーゴスラビアによる侵略に、苦しめられていた。 ハンガリー政府は、革命や近隣諸国との対立に備えたいと考え、14両のLK IIは全て、ブダペストに拠点を置くハンガリー警察訓練学校(RUISK)に配備される予定だった。 しかし、トリアノン条約はハンガリーの再軍備を事実上禁止していたので、LK IIが到着したとき、条約の査察官からLK IIを隠されなければならなかった。LK IIは分解され、車体は「農業用トラクター」を装って、農場や鉄道貨物貨車に隠された。 1927年3月、ハンガリーは再軍備が可能となり、1928年に最初の戦車中隊が設立された。 1930年4月、分解されたLK IIの車体の状態を注意深く検査した後、6両のLK IIが再び組み立てられ、より近代的な車両が利用可能になるまで、乗員の訓練のためにそれらを使用し始めた。ハンガリー軍のLK IIは、シュワルツローゼ 8 mm重機関銃を装備した。 イタリアのFIAT 3000B軽戦車が、第1訓練中隊によって新たに購入・使用され、LK II戦車の5両は、第2訓練中隊によって使用された。 1930年代の後半には、LK IIは時代遅れと見なされ、駐屯地に廃棄された。2つの砲塔は、装甲列車のために再利用された。 1939年、1両のLK IIが駐屯地内の閉鎖された小屋に隠されているのが発見された。その車両は公式記録には存在せず、時代遅れとみなされていたので、屑鉄として売却された。
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