競合機との競争とLCCへの広がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 05:48 UTC 版)
「エアバスA320」の記事における「競合機との競争とLCCへの広がり」の解説
1990年代の後半にかけて、米国の航空機メーカーも相次いで単通路機の次世代化を行いA320に対抗した。マクドネル・ダグラスはMD-80をベースにV2500エンジンを搭載して近代化したMD-90を開発した。ボーイングも737のエンジン更新した737NG (Next Generation) を開発した。小型の単通路機は双通路機よりも利幅が小さいことから、ボーイングもマクドネル・ダグラスも完全新規開発をためらい、既存機の改良の道を選んだ。これに対してエアバスは、A330やA340とシステムを共通化して開発費を分散させたことで、A320のような単通路機にも最新鋭のシステムを実装することに成功した。 A320ファミリーの納入数は、1991年と1992年に年間100機を超え、それ以降も毎年50機以上を記録した。そして1999年にはA320ファミリーの総納入数が1,000機を超え、4月15日に1,000号機と1,001号機の引き渡しセレモニーが行われた。1999年以降の毎年の納入数は、A320単体で100機、ファミリー全体で200機を上回るようになった。 1990年代には、ノースウエスト航空やユナイテッド航空をはじめとして米国の大手・中堅航空会社が相次いでA320ファミリーを導入した。次第に米国でもA320の乗務資格を有するパイロットやA320の整備経験を積んだ整備士が育ち、2000年代に入る頃には、新興のいわゆる格安航空会社 (LCC) でもA320ファミリーの運航体制を整えパイロットや整備士を確保できる環境ができつつあった。また、A320は中古機市場でも人気があり、航空機リースを行う上で有利な機材となったことで、資金が限られる新興航空会社でもリースでA320を導入しやすい状況であった。このような状況下で、2000年2月に運航開始した米国のジェットブルー航空は、A320を採用し3年間で40機にまで運用数を拡大した。続いてフロンティア航空も2001年にA319を導入し、ファミリー機の採用を拡大していく。欧州の格安航空会社でもA320ファミリーが選ばれるようになった。 この頃、これまでコンソーシアム(共同事業体)の形態とっていたエアバス・インダストリーは、2001年1月1日付で統合企業に改められ社名も単に「エアバス」となった。同年、A320単体の累計納入数が1,000機を超えた。そして翌2002年には年間納入数でA320ファミリーは737シリーズを上回り、運航機数においては、A320ファミリーはマクドネル・ダグラスの単通路機シリーズ (DC-9/MD-80/MD-90) を抜いた。2003年に、A320ファミリーの累計納入数は2,000機に到達した。
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