福島関跡とは? わかりやすく解説

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福島関跡

名称: 福島関跡
ふりがな ふくしまのせきあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 長野県
市区町村 木曽郡木曽町
管理団体 木曽町(昭54・9・3)
指定年月日 1979.03.13(昭和54.03.13)
指定基準 史6
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S52-12-033福島関跡.txt: 福島関跡は、木曾谷のほぼ中央駒ヶ岳北支脈が木曾川に迫る突端の根の井山関山)麓の崖上に所在する明治以降文献資料写真等を総合すると、国道改修JR中央線開通宅地化により、その面影はほとんど失われている。しかし、のこされている各種文献資料や数点の古絵図現地照合することにより、福島町全体の旧町並道路とともに関所敷地であった狭長な平坦部分は、今日なおほぼ原形遺存しているとみることができる。
 関所内の番所・門・塀・等の間数正確に記す寛文8年(1668)頃の古絵図等を手がかりに、2次にわたり発掘調査実施したその結果番所前の石列、番所から東西にのびた塀の礎石西門周辺部の石列等を検出し、これらによって番所敷地及び諸施設配置確認することができた。しかも、この西門位置は、福島宿本陣会所角から「百九十一間」の距離があったという信ずべき資料とも一致するまた、在国道から西門跡へのぼる急坂小道は、福島関を通過する旧中山道面影のこしている。
 福島関は、その創設年次明らかでないが、関ヶ原役いわゆる五街道整備とともに幕府木曾谷防衛関門として東海道箱根新居中山道碓氷とならぶ重要な関所であった。その位置京都江戸のほぼ中間にあること、しかも木曾谷流域両岸が最も狭い地形であることなどを考えると、幕府がこの地に福島関を設けた意図も十分推測されよう。
 江戸幕府交通政策史上における遺構として極めて重要なものとして、旧中山道接す家中屋敷部分含め関所跡として指定する
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