神話世界のリムノス
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古代ギリシアの時代、リムノス島は鍛冶の神ヘーパイストスに捧げられていた。『イリアス』(I.590ff)の中でヘーパイトス自身が語るには、父ゼウスによってオリンポス山から真っ逆さまに突き落とされて、落ちた場所がリムノス島だったということだ。『イリアス』によると、ヘーパイトスはシンティエス人(英語版)(あるいは、アポロドーロスの『ビブリオテーケー』(邦訳名「ギリシア神話」。I.3.5)によると、女神テティス)の看護を受け、トラキアのニュンペー(ニンフ)のCabiro(プローテウスの娘)とともにカベイロイと呼ばれる種族を生み、彼らに捧げる神聖な儀式が島で執り行われたということである。 ヘーパイストスの鍛冶場は火山島の特徴を示しているが、アイタレイア (Aethaleia)同様、このリムノス島にも鍛冶場があり、時々利用されていたという。島にある山の1つ、モシュクロス山 (Mosychlos) は時々噴火したと言われている。古代の地理学者パウサニアスは、リムノス島の近くにクリセ (Chryse) と呼ばれる小島があったが海に沈んだと説明している。しかし現在のリムノス島の山々はすべて死火山である。 レムノス (Lemnos) という名前は、トラキア人の間ではキュベレーの称号だったと、ミレトスのヘカタイオスは述べた。また、この島に最初に住んでいたのはトラキア人の部族で、ギリシア人は彼らのことを Sintians(略奪者)と呼んでいたとも。 アポロドーロスは、ディオニューソスがナクソス島に置き去りにされたアリアドネを見つけ、リムノス島に連れて行き、そこでトアース、スタピュロス、オイノピオーン、ペパレートスを生んだとしている(『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』摘要I.9)。また、大プリニウスは『博物誌』の中で、リムノス島のラビリントスについて語っているが、現在に至ってもその実在は確認されていない。 有名な言い伝えでは、島の夫たちがトラキアの女性たちに夢中になって、相手にされなくなった妻たちはその復讐に島中の男性を殺したという。この蛮行から、古代ギリシア人たちの間に「Lemnian deeds」ということわざが生まれた。その後まもなく、アルゴナウタイが上陸した時は、島には女性しかおらず、トアース王の娘ヒュプシピュレーが統治していた。アルゴナウタイとリムノス島の女性たちから、ミニュアース人 (Minyans) という部族が生まれた。イアソンとヒュプシピュレーの子であるエウネーオス王は、イリオス(トロイ)のアカエア人たちにワインや食糧を送った。しかし、アッティカから来たペラスゴイ人(英語版)によって、ミニュアース人は島から追い出されてしまった。 こうした伝説の基礎を成している歴史的な要素は、おそらく、こういうことではないだろうか。つまり、トラキア人たちは、エーゲ海の点在する島々を統一するための航海術を始めるにあたって、徐々にギリシア人との交流をするようになった。トラキアの住民たちはギリシア人の水夫と較べると技術的には未開だったのである。 キュベレー崇拝はトラキアの特徴で、非常に早い時期に小アジアから広まったものである。ヒュプシピュレーもミリナ(主要な町の名前)もアマゾンの名前で、アジアのキュベレー崇拝と常に関係している。 他の伝説では、ピロクテテスはトロイに行く途中、ギリシア人によってリムノス島に置き去りにされた、とある。オデュッセウスとネオプトレモスが迎えに来るまで、ピロクテテスは足に負った傷で十年間、この島で苦しんだ。ソポクレスによれば、ピロクテテスが住んでいたのは、アイスキュロスがアルゴスにトロイ陥落の報せを告げるかがり火の設置場所の1つにした、ヘルマエウス山のそばだったという。
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