石川之譚とは? わかりやすく解説

石川之譚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:32 UTC 版)

Ghost of Tsushima」の記事における「石川之譚」の解説

巴(ともえ|英:Tomoe ) 声 - (英)マイリー・ヤマモト (Miley Yamamoto) / (日)佐古真弓 弓取りとして天賦の才をもつ、年若い女。得物は弓のみ。幼い頃から、音に聞く石川定信弟子をしていた。生まれ百姓石川曰く母親は卯麦谷商人の子で、父親素性不明)。 その才に惚れ込んだ石川によって少女の頃から弓術伝授され長じて跡取りになることを望まれていた。しかし、裏では師匠隠れて賊と行動を共にし、金を稼いでいた。やがて悪事を知るところとなった石川は巴を成敗しようとし、それからというもの、巴は石川恨みを抱くようになった石川袂を分かった後、巴は元軍に捕らえられたが、石川直伝の弓術高く評価され元朝側に引き入れられ、自らの弓技元朝弓兵教授する任に就くようになる自分追っている石川と境井仁動きには気付いており、彼らの前に姿を見せる際には狐面で顔を隠していた。しかし、石川と仁による弓の訓練場破壊が幾たびも繰り返されるうちに元軍の中での巴の立場悪くなってゆき、信頼回復努めるも、最後に捨てられてしまう。 その後の巴は、「まつ」という偽名使いながらも、素顔石川と仁に接触する。巴にはどこか男を惹きつける魅力があり、十分に警戒していたはずの仁でさえ、しばらく行動を共にしたことで半ば打ち解けたように女を誘う男の態度を執っている。 石川が巴を許すことなどあり得ず、仁が完全に心を許すことも無いが、卯麦谷襲撃する元朝勢撃退するためには共闘するほかに無く石川らと巴は協力し合って戦った。巴は元朝に対して意趣返し果たしたことになる。その直後石川らが戦の始末に手を取られている隙に、本土へ渡る船を出し石川らが追って来られない所まで遠ざかっていた。矢を射かけようとする石川足元に、巴の残した文が落ちていた。そこには、これまで受けた教えへの礼と、石川との訣別告げ言葉記されていた。永らく巴に心を囚われてきた石川と、石川付き合う形から入って巴の足取り追い続けてきた境井仁と、彼女を見送った水辺で、何も言わずにしばらく佇んでいた。 袂を分かった石川と巴であるが、弓術探求者という点では相変わらず同士見えて、「先生さっき二人掛けの技を使ったでしょう」だの、「おまえは型を少し変えたな」「ここをこのように工夫してみました」「よう考えたのお」だの、卯麦谷戦い最中には技術談議が止まらなかった。 本土渡った生き直し京の都小さな宿を営むのが夢であると、仁に語っている。琴でも習って雅に着飾った人々から下男(げなん)に金を巻き上げさせる仕事をしたいと言っていた。

※この「石川之譚」の解説は、「Ghost of Tsushima」の解説の一部です。
「石川之譚」を含む「Ghost of Tsushima」の記事については、「Ghost of Tsushima」の概要を参照ください。

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