石川之譚
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「Ghost of Tsushima」の記事における「石川之譚」の解説
巴(ともえ|英:Tomoe ) 声 - (英)マイリー・ヤマモト (Miley Yamamoto) / (日)佐古真弓 弓取りとして天賦の才をもつ、年若い女。得物は弓のみ。幼い頃から、音に聞く石川定信の弟子をしていた。生まれは百姓(石川の曰く、母親は卯麦谷の商人の子で、父親の素性は不明)。 その才に惚れ込んだ石川によって少女の頃から弓術を伝授され、長じては跡取りになることを望まれていた。しかし、裏では師匠に隠れて賊と行動を共にし、金を稼いでいた。やがて悪事を知るところとなった石川は巴を成敗しようとし、それからというもの、巴は石川に恨みを抱くようになった。 石川と袂を分かった後、巴は元軍に捕らえられたが、石川直伝の弓術を高く評価されて元朝側に引き入れられ、自らの弓技を元朝の弓兵に教授する任に就くようになる。自分を追っている石川と境井仁の動きには気付いており、彼らの前に姿を見せる際には狐面で顔を隠していた。しかし、石川と仁による弓の訓練場の破壊が幾たびも繰り返されるうちに元軍の中での巴の立場は悪くなってゆき、信頼回復に努めるも、最後には捨てられてしまう。 その後の巴は、「まつ」という偽名を使いながらも、素顔で石川と仁に接触する。巴にはどこか男を惹きつける魅力があり、十分に警戒していたはずの仁でさえ、しばらく行動を共にしたことで半ば打ち解けたように女を誘う男の態度を執っている。 石川が巴を許すことなどあり得ず、仁が完全に心を許すことも無いが、卯麦谷を襲撃する元朝勢を撃退するためには共闘するほかに無く、石川らと巴は協力し合って戦った。巴は元朝に対して意趣返しを果たしたことになる。その直後、石川らが戦の始末に手を取られている隙に、本土へ渡る船を出し、石川らが追って来られない所まで遠ざかっていた。矢を射かけようとする石川の足元に、巴の残した文が落ちていた。そこには、これまでに受けた教えへの礼と、石川との訣別を告げる言葉が記されていた。永らく巴に心を囚われてきた石川と、石川に付き合う形から入って巴の足取りを追い続けてきた境井仁と、彼女を見送った水辺で、何も言わずにしばらく佇んでいた。 袂を分かった石川と巴であるが、弓術の探求者という点では相変わらずの同士と見えて、「先生さっき二人掛けの技を使ったでしょう」だの、「おまえは型を少し変えたな」「ここをこのように工夫してみました」「よう考えたのお」だの、卯麦谷の戦いの最中には技術談議が止まらなかった。 本土に渡ったら生き直し、京の都で小さな宿を営むのが夢であると、仁に語っている。琴でも習って、雅に着飾った人々から下男(げなん)に金を巻き上げさせる仕事をしたいと言っていた。
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