県内一斉捜索
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 05:26 UTC 版)
「名護市女子中学生拉致殺害事件」の記事における「県内一斉捜索」の解説
同年7月12日には、県内25の市町村(離島を含む県全域)で、住民や教職員による県内一斉捜索が行われ、住民や教職員、自治体職員らが参加した。これは、県や県教育委員会などの主催で、同日に22市町村で開催された「青少年の深夜徘徊防止県民一斉行動」の住民大会に合わせて実施されたもので、住民大会が開催された22市町村以外でも、3町村で捜索活動が展開された。その前日(同月11日)には県知事の大田昌秀が記者会見で県民に対し、捜索への協力を呼び掛けたが、事件に関連して全県一斉の捜索が行われることや、知事が事件の捜索への協力を呼び掛けたことは、いずれも異例のことだった。 同日の捜索活動の参加人数は、公式発表では「25市町村で約25,000人」とされているが、対策本部長を務めた男性は「実際は、その数倍の人たちが協力してくれたはず」と述べている。この大規模な捜索活動を受け、Aの両親は県民へのお礼や、犯人に対し「一刻も早く娘を返してほしい」と訴える内容の文書を書き、同月14日の「沖縄2紙」(『沖縄タイムス』および『琉球新報』)の朝刊にその文書が掲載された。 事件発生から1か月目となる7月21日には、2度目の県内一斉捜索が行われた。これは、捜索に当たっていた市民の焦りや疲れが頂点に達していたことから、市民対策本部が「1つの節目」として、本島北部(12市町村)で改めて一斉捜索を行うことを検討したものだが、同月17日に緊急で開かれた北部市町村総務課長会議の結果、中南部にも協力を求め、それぞれの地域で一斉捜索を行うことが決まった。しかし、この日の捜索でも有力な手掛かりは得られず、名護市長の比嘉鉄也は同日、「組織的な捜索はきょうで打ち切り、今後は警察の捜査を見守りたい」と表明した。これは、情報が得られない中で、市民対策本部が人員を確保し、組織立った捜索活動を継続することが困難になったためだった。7月22日までに、投入された捜査員は21,808人、捜索に参加した住民の人数は33,831人に上った。 その後も捜査の進展はなく、事件発生から2か月となる8月時点では、それまでに特捜本部に約840件の情報が提供されていたものの、新たに寄せられる情報の件数は1日に1、2件程度に激減。一方で8月ごろには、本島中南部から被害者であるAを無根拠に誹謗中傷するような憶測や噂も流れていた。11月時点ではAの父親の同僚や、名護市職員、PTAらが交代しながら24時間体制で、情報提供を受け付けていたが、この時点では事件関連の情報は皆無になっていた。同年12月15日には、沖縄2紙の朝刊に、名護市民対策本部が「Aさんをすぐ帰して下さい。」という題名の特別広告を掲載。この広告は、協力への感謝と、今後の情報提供を呼び掛ける内容で、Aが拉致される直前まで一緒に下校していた女子生徒(甲)や、Aの父親がそれぞれ、以下のようなメッセージを寄せていた。 〔A〕、〔甲〕だよ。早く会いたい。そして一緒に話して一緒に笑いたい。いっぱい話したいことあるから早く帰っておいで。 — Aが拉致される直前まで一緒に下校していた女子生徒(甲)、 犯人に対して言いたいことは、罪を犯していつまでも逃げとおすことはできません。(中略)あなた達にも家族がいるのであれば、私たちの気持ちが分ると思います。一刻も早く、〔A〕を解放して自首することをすすめます。 — Aの父親、 Aは生前、動物好きで、獣医になることを夢見ていた。家族たちは、遺体発見までAの無事を信じ続け、事件前にAが可愛がっていた犬が家から姿を消して以降、「Aが帰ってきたときに寂しい思いをする」との考えから、新たに犬と猫を飼い始めていた。また、Aのクラスメートや、彼女が所属していた羽地中学校のバレーボール部員たちも、それぞれAの無事を祈っていた。
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