登場後の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 13:58 UTC 版)
「日立電鉄2000形電車」の記事における「登場後の経緯」の解説
登場後すぐは主に車掌乗務の2連運用に使用された。Mc2の3両は、ラッシュ時の増結用として使用された。1996年には全列車のワンマン運転が開始され、ワンマン表示灯の設置、運転席からのドア扱いを可能にする等の工事が行われた。これら一連の工事は自社久慈浜工場で行われている。 1997年には3連運用が消滅し、増結用のMc2は運用を失った。このうち2008・2009は「ビア電日立号」(呑電日立号)へと改造された(後述)。 2002年、日立電鉄線全列車2連化に伴いドア回路・運転席等が小改良された。この対象から漏れた2212編成・2005は運用離脱、休車となった。その後の列車本数の減少に伴い2004年に2214編成・2217が運用離脱、休車となった。 この結果、廃線時まで稼働していた車両は、2002編成・2004編成・2215編成・2007編成、及び検査時の予備車として3000形3026と編成を組んでいた2210であった。2210+3026以外の編成は廃止1か月前にギャラリー電車へと改装され、車内に沿線幼稚園児が描いた絵や、過去の日立電鉄線の写真などを掲示していた。また、廃止数週間前にはヘッドマークの取り付けも行われている。営業運転最終日の常北太田駅行最終列車は2002編成が充当された。 なお、予備車の2210+3026は常北太田駅に常駐していた。
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登場後の経緯
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登場以来検査代行等を除いて単行運転であった3000形だが、2002年の全列車2連化に伴い3023・3025 - 3027の4両がドア回路等の改造を受け、3025+3023・3027+3026の2連となった。この改造から漏れた3021・3022・3024は運用を離脱、休車となった。 3027は2002年、車体側面に沿線旅館の広告が取り付けられた。3025編成は2003年に橙とクリームの旧型電車塗装に塗り替えられ、鉄道ファンの人気を博した。 2004年、3026は連結相手を2000形2010に変更、検査予備車になり常北太田駅に常駐した。同時に3027は運用を離脱、休車となった。 結果、廃線時まで稼働していた車両は旧型電車塗装に塗り替えられた3025編成と予備車の3026のみとなった。3025編成には2000形の最終稼働編成同様ヘッドマークの取り付け等も行われている。また、廃止日の大甕駅行最終列車に充当されている。
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