生産地として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/03 09:22 UTC 版)
麻薬、特に阿片はアユタヤ王朝から輸入・生産がなされていた。歴代王はこれを堅く禁じた。当時、阿片を処理するための仏教儀式が行われていたと言うことである。 後にチャクリー王朝時代に入ると華人が大量に移住、重労働に耐えるため阿片の吸飲をするという習慣が広く行われた。後にアヘン窟の運営は国家の独占産業となり莫大な収入となっていたためなかなか絶つことが出来なかった。 特に阿片がタイで完全に非合法化されるのはサリット・タナラット首相の時代である。しかし、実際のところ、取締り実行には困難が付きまとった。隣国ミャンマーでは、内政が安定せず、クンサーやシャン族などが自分の解放区を作り麻薬の原料であるケシの栽培を行った。特にタイ・ラオス・ミャンマーの国境付近は黄金の三角地帯とよばれ、ケシの栽培・交易が盛んに行われた。収入の少ない山間部の少数民族にとっては、低温でやせた土地にも育つケシは大きな収入源になっていた。さらに喫煙を重労働の後に楽しむ習慣があったこと、地元の警察に不法に保護されていたことなどから、中央から派遣された警察が取り締まっても違法栽培は後を断たなかった。またとくにチエンマイ県はその集散地とも言われた。むろんタイ国内での消費のみならず先進諸国にも輸出が行われ消費された。 1980年代から、タイ国軍によるケシ畑の掃討と国際NGO、政府援助、王室プロジェクトによる代替作物の導入が進むと、ケシ栽培面積を急激に減り、現在国内でケシ畑はほとんど見られなくなった。国境近辺でも政情が比較的安定し、クン・サの軍が解散、シャン族も覚醒剤やエクスタシーなどの生産に切り替えた。この傾向は減少に寄与した。
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