獲加多支鹵大王とは? わかりやすく解説

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雄略天皇

(獲加多支鹵大王 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/03 02:26 UTC 版)

雄略天皇 (ゆうりゃくてんのう、允恭天皇7年12月 - 479年?[1]〈雄略天皇23年8月7日〉)は、日本の第21代天皇(在位:456年?[2]安康天皇3年11月13日〉 - 479年?)。『日本書紀』での名は大泊瀬幼武天皇。考古学的に実在が実証されている古墳時代の天皇。




「雄略天皇」の続きの解説一覧

獲加多支鹵大王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 18:46 UTC 版)

雄略天皇」の記事における「獲加多支鹵大王」の解説

詳細は「稲荷山古墳出土鉄剣」を参照 稲荷山古墳出土鉄剣国宝埼玉県立さきたま史跡の博物館展示。左は表面、右は裏面埼玉県稲荷山古墳より出土した鉄剣に「辛亥の年七月中、記す」から始まる金象嵌銘があることが1978年確認された。金象嵌銘には「獲加多支鹵大王」という当時大王の名も記されており、この「獲加多支鹵」(ワクカクカタキ(シ)ル(ロ))は、『古事記』『日本書紀』記され雄略天皇実名である「ワカタケル」(古事記大長谷若建」、日本書紀大泊瀬幼武」)と酷似している。 また、1873年には熊本県江田船山古墳から大王の名が記された銀象嵌銘文有する鉄刀出土していたが、保存状態悪く大王名の部分が相当欠落していた。その銘文かつては治天下𤟱□□□歯大王」と読み、「多遅比弥都歯別」(タジヒノミズハワケ)の実名を持つ18代反正天皇(『書紀』による。『古事記』では「歯別」)にあてる説が有力であったが、上記稲荷山古墳鉄剣発見され以降は「治天下□□□大王」 と読み、これを「獲加多支鹵大王」に当てる説が有力となっている。 以上のように、雄略天皇の名が刻まれ鉄刀鉄剣熊本埼玉見つかったことから、5世紀後半にはすでにヤマト王権支配圏が九州から関東までの広範囲及んでいたことが推測できるまた、それぞれの銘文には「杖刀人」(武官か)「典曹人」(文官か)という当時官職名記されており、『書紀』の雄略紀にも「○人」と称する官名集中的に現れることから、王権奉仕する集団をその職掌によって分類した後の部民制通ず人制萌芽がこの時代にすでに現れていたことが窺える

※この「獲加多支鹵大王」の解説は、「雄略天皇」の解説の一部です。
「獲加多支鹵大王」を含む「雄略天皇」の記事については、「雄略天皇」の概要を参照ください。

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