片瀬西浜海水浴場、鵠沼を合併
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「片瀬西浜・鵠沼海水浴場」の記事における「片瀬西浜海水浴場、鵠沼を合併」の解説
1956年(昭和31年)、片瀬西浜海水浴場は、鵠沼までを統合した「江の島海水浴場協同組合」を創立し、同海水浴場の警備員たちは、赤十字救急法救急員の資格を取得したライフセーバーが監視・救助活動を始めた。 1957年(昭和32年)、藤沢市は片瀬・鵠沼地区の海岸を「東洋のマイアミ」として売り出す。さらに、1959年(昭和34年)3月5日 、藤沢市議会は藤沢市とマイアミビーチ市との姉妹都市関係締結を議決。「東洋のマイアミ」から「東洋のマイアミビーチ」と改称した。 1961年(昭和36年)4月1日、 鵠沼海浜公園(引地川右岸)を供用開始し、同年7月20日、鵠沼海浜公園の藤沢市営鵠沼プールの経営を、小田急電鉄が引き継いで全面的に改良し、鵠沼プールガーデンとして開場した。 1963年(昭和38年)、 江の島海水浴場協同組合の監視員は、活動を充実させるため「湘南ライフガードクラブ」(現在名「西浜サーフライフセービングクラブ」)として組織化、日本初のライフガード組織として先進地のオーストラリアやハワイからノウハウを学び、活動するようになった。 1964年(昭和39年)、江の島が東京オリンピックのヨット競技会場に選ばれたのを機に、自動車橋が島を結び、この前後は片瀬の海水浴場来客数は500万人を遙かに超え、日本一の海水浴場の名をほしいままにしていたが、1969年(昭和44年)には湘南海岸で大腸菌騒動が起こり、来客数は200万人を割るまで激減した。 1990年(平成2年)4月28日 - 10月10日、神奈川県主導のイベント「サーフ'90」開催され、これを機に湘南海岸公園のかさ上げ、再整備が実施された。1992年(平成4年)、県立湘南海岸公園に西部の拠点施設「サーフビレッジ」が完成、ライフセービングの通年活動の拠点となり、1995年(平成7年)には藤沢市がサーフビレッジ前の砂浜に「湘南鵠沼常設コート」を設置、以来、日本におけるビーチスポーツの拠点に位置づけられるようになった(詳細は鵠沼海岸が発展のきっかけとなったビーチスポーツ を参照)。 2004年(平成16年)、新江ノ島水族館がリニューアルしてグランドオープンし、湘南海岸公園の再整備は完成した。同年夏には片瀬西浜・鵠沼海水浴場の来客数は360万人を突破し、日本一の海水浴場に返り咲いた。以後も年間300万人台を維持し続けている。 因みに、2位は片瀬東浜海水浴場の100万人前後、3位は由比ガ浜海水浴場の94万人、4位は須磨海水浴場(兵庫県)の65万人弱、5位は三浦海岸海水浴場の60万人と、ベスト5のうち神奈川県内の海水浴場が4を占めている。
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