片瀬西浜海水浴場、鵠沼を合併とは? わかりやすく解説

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片瀬西浜海水浴場、鵠沼を合併

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 14:48 UTC 版)

片瀬西浜・鵠沼海水浴場」の記事における「片瀬西浜海水浴場、鵠沼を合併」の解説

1956年昭和31年)、片瀬西浜海水浴場は、鵠沼までを統合した江の島海水浴場協同組合」を創立し、同海水浴場警備員たちは、赤十字救急法救急員資格取得したライフセーバー監視救助活動始めた1957年昭和32年)、藤沢市片瀬・鵠沼地区海岸を「東洋マイアミ」として売り出す。さらに、1959年昭和34年3月5日藤沢市議会藤沢市マイアミビーチ市との姉妹都市関係締結議決。「東洋マイアミ」から「東洋のマイアミビーチ」と改称した1961年昭和36年4月1日鵠沼海浜公園引地川右岸)を供用開始し、同年7月20日鵠沼海浜公園藤沢市鵠沼プール経営を、小田急電鉄引き継いで全面的に改良し鵠沼プールガーデンとして開場した1963年昭和38年)、 江の島海水浴場協同組合監視員は、活動充実させるため「湘南ライフガードクラブ」(現在名西浜サーフライフセービングクラブ」)として組織化日本初ライフガード組織として先進地のオーストラリアハワイからノウハウ学び活動するようになった1964年昭和39年)、江の島東京オリンピックヨット競技会場選ばれたのを機に自動車橋が島を結び、この前後は片瀬海水浴場来客数は500万人遙かに超え日本一海水浴場の名をほしいままにしていたが、1969年昭和44年)には湘南海岸大腸菌騒動起こり来客数は200万人を割るまで激減した1990年平成2年4月28日 - 10月10日神奈川県主導イベントサーフ'90開催されこれを機に湘南海岸公園かさ上げ再整備実施された。1992年平成4年)、県立湘南海岸公園西部拠点施設「サーフビレッジ」が完成ライフセービング通年活動拠点となり、1995年平成7年)には藤沢市がサーフビレッジ前の砂浜に「湘南鵠沼常設コート」を設置以来日本におけるビーチスポーツの拠点位置づけられるようになった詳細鵠沼海岸発展きっかけとなったビーチスポーツ を参照)。 2004年平成16年)、新江ノ島水族館リニューアルしてグランドオープンし、湘南海岸公園再整備完成した同年夏には片瀬西浜・鵠沼海水浴場来客数は360万人突破し日本一海水浴場返り咲いた以後年間300万人台を維持し続けている。 因みに2位片瀬東浜海水浴場100万人前後、3位由比ガ浜海水浴場94万人、4位は須磨海水浴場兵庫県)の65万人弱、5位は三浦海岸海水浴場60万人と、ベスト5のうち神奈川県内海水浴場が4を占めている。

※この「片瀬西浜海水浴場、鵠沼を合併」の解説は、「片瀬西浜・鵠沼海水浴場」の解説の一部です。
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