淀橋浄水工場通水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 19:31 UTC 版)
前述の反対運動や不祥事など紆余曲折を経つつも、1898年(明治31年)12月1日に竣工、明治維新以来31年目にして近代水道が東京に誕生した。淀橋浄水工場は直ちに神田・日本橋方面に通水を開始、翌1899年(明治32年)1月からは各戸の給水工事に取り掛かって2月からろ過処理された浄水を給水開始。その後も給水区域を着々と拡大し、1901年(明治34年)には東京市内の旧上水を廃止した。この給水開始当時の水道は現在の一般家庭各戸に給水されるスタイルではなく、街路に設置された共用水栓を利用するものであったが、上水井戸の時代とは変わって雨天時の混濁がなく、多大な労力を要する事も無く、共用水栓まで出向いて蛇口をひねればいつでも清潔な水を大量に得る事が出来た。東京市民には非常に歓迎され、特に主婦にとっては炊事・洗濯・掃除といった家事の負担を著しく軽減した。また鉄管で密閉・圧送された浄水は清潔なだけではなく、消防用水としても効果的で、大火を防止する有効な手段となった。本格的な給水開始以降は東京における伝染病や火災の発生数は激減し、近代水道の効果を示した。 その後、東京市では水道需要が急激に伸びた為、1911年(明治44年)3月まで淀橋浄水場の施設能力を二期にわたって増強した。
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