淀橋教会設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/30 02:24 UTC 版)
1911年の聖教団事件の際に、聖書学院教会と神田の信徒で日本聖教団淀橋教会と呼称するようになる。笹尾鉄三郎が嘱託で初代牧師に就任する。10月29日に聖書学院講堂で聖書学院教会と淀橋連合が礼拝をした後に、聖書学院教会を閉鎖して、新しい借家の淀橋教会へ全信徒が移ることになった。しかし、1ヶ月後に和解して、淀橋教会は再び聖書学院講堂で礼拝をすることになった。1913年には、笹尾鉄三郎が事実上淀橋教会を辞任して、フリーの巡回伝道者になる。1913年(大正2年)に中田重治が東洋宣教会報を発表して、車田秋次が淀橋教会の担当をすることになる。1914年4月27日に聖書学院の外に会堂を建設して、独自の会堂で礼拝するようになる。中田が東京にいるときはよく淀橋教会で説教をした。その後、中田重治が牧師に就任する。
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