淀橋浄水工場着工
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1888年(明治21年)に内務省に設置された市区改正委員会が水道改良の実施を決議し、調査検討の結果、1890年(明治23年)7月1日に『東京水道改良設計書』が内閣総理大臣の認可を得た。同年9月に東京市会本会議は全会一致で、水道改良費650万円及び道路河濠橋梁公園改正費350万円の合計1,000万円の市区改良費を5年計画で認めた。当時の一般財政は年額50万円ほどで東京市民にとっては負担増を意味し、水道改良中止を求める反対運動まで起きたが暫くして下火となった。1891年(明治24年)11月1日に府庁内に水道改良事務所が設置された。当初は、内務省衛生局雇間技師バルトンの第2次報告書にある、玉川上水路により多摩川の水を千駄ヶ谷村の浄水工場(浄水所)へ導いて沈殿・ろ過したのちに、麻布及び小石川の給水工場(給水所)へ送水し、浄水工場に併設された給水工場を含めて3箇所の給水工場からポンプ圧送あるいは自然流下で市内に配水する案を軸に検討したが、のちに内務省技師補の東京市水道技師中島鋭治工学博士が再検討した『東京水道改良計画書』で、浄水工場は千駄ヶ谷村から淀橋町へ、給水工場は麻布・小石川から芝・本郷へそれぞれ変更し、淀橋以西の和田堀まで新水路を築造する意見が盛り込まれ、同年12月1日の市区改正委員会で議決されて設計が変更された。1892年(明治25年)6月から1893年4月にかけて東京市は淀橋浄水工場予定地の地権者と厳しい交渉の末、用地買収を完了した。買収完了に先行して1892年(明治25年)9月21日に淀橋浄水工場仮事務所建築の盛土工事を着工し、同年12月に新水路工事が着工し、1893年(明治26年)10月22日に、上野駅及び新橋駅から仕立てた特別列車による約3000名の来賓を迎えて淀橋浄水場で改良水道起工式が盛大に挙行した。
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