標準軌の起源とは? わかりやすく解説

標準軌の起源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 07:37 UTC 版)

標準軌」の記事における「標準軌の起源」の解説

標準軌の起源は、北東イングランドのキリングワース(英語版炭鉱用いられていた馬車軌道軌間である。1814年ジョージ・スティーヴンソンがこの炭鉱鉄道のために蒸気機関車製造したスティーブンソンその後他の炭鉱向けにも機関車製造し1823年にはロバート・スチーブンソン・アンド・カンパニー設立したが、ここで製造され機関車も同じ軌間設計されていた。スティーブンソンは、各地鉄道で同じ軌間使ったほうが機関車諸設備量産都合がよく、また将来これらの鉄道相互に接続され時にも便利であると考えていた。1825年ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道公共用鉄道として初め蒸気機関車使われ1830年には世界初蒸気機関車による旅客用鉄道であるリバプール・アンド・マンチェスター鉄道開業した。これらの鉄道でもスティーブンソン機関車用いられた。 キリングワース炭鉱軌道間隔は、当時北東イングランド一般的だった馬車車輪間隔一致している。馬車車輪間隔は、他の車両のつけた轍に沿って走れるように地域ごとに統一される傾向がある。馬車軌道車両通常の馬車そのまま流用したため、軌間もこれによって決まった。なおキリングワースの車輪間隔起源をさらに古代ローマ馬車にまで遡ることができるとする説もあったが後に否定されている。 標準軌が4フィート8 1⁄2インチという半端な値である理由は、以下の説が有力である。もともとは4フィート8インチだったものが、蒸気機関車使用により速度増したことで、曲線スムーズに曲がれるよう踏面勾配をつけた車輪発明された。このためには車輪ある程度左右に動けるようにしなければならないため、軌間を半インチ広げたというものである。この拡大が行われた時期については諸説あり、キリングワース炭鉱時点ですでに4フィート8 1⁄2インチだったとするものから、ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道で半インチ加えられたとするもの、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道レインヒル・トライアル前の線路改良拡大が行われたとするものまである。もっとも、軌間の半インチメートル法直せば12.7mm)程度の差は実用上はあまり問題にならず、特に当時炭鉱鉄道工事保線精度からは誤差範囲内であったともいえる。 その他の説明として、小池滋は以下のような説を紹介している。この時代炭鉱鉄道ではフランジのない一般道路用の馬車走らせて脱線しないよう、外側防護壁をつけたL字形レール使っていたが、このレール外側間隔をちょうど5フィートとしていた。フランジ付きの車輪用い鉄道車両ではレール内側間隔が重要となるが、それは外側間隔から2本のレールの幅を除いたものであり、これが4フィート8 1⁄2インチという値になったという。

※この「標準軌の起源」の解説は、「標準軌」の解説の一部です。
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