楽器グラス・ハーモニカに起因する転機
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「フランツ・アントン・メスメル」の記事における「楽器グラス・ハーモニカに起因する転機」の解説
1777年、18歳の盲目の音楽家マリア・テレジア・フォン・パラディスの治療を行った。しかし、彼が療法に用いていた神秘の音色をもつ楽器「グラス・ハーモニカ」は、人の気を狂わせ、死霊を呼び起こし、奏する者や聴く者を死に至らしめる恐怖の楽器と恐れられていたものであった。実際にコンサートの客席で幼児が亡くなった事例が起きたことから、グラス・ハーモニカには正式に禁止令が発令されていた。それにもかかわらず、グラス・ハーモニカを療法に長年使用してきた彼は、禁止令に反してその使用をやめようとせず、パラディスにその音色を使った療法を施したばかりか、視力の取り戻しをかなえられず、後の彼女の精神に悪影響を与えたと言われるスキャンダルが起き、禁止令に反した罰として、メスメルはウィーン追放を命じられてしまった。 翌年、メスメルはパリに行き、金持ちや権力者が好む町の一角に部屋を借り、治療をはじめた。まもなくパリは、メスメルをウィーンから追放されたもぐりの医者と見る者と、偉大な発見をした人物と見る者に二分された。パリでの最初の年、メスメルは自分の理論が公式の認可をもらえるよう、科学アカデミーもしくは医学アカデミーのどちらかに入ろうとしたが失敗した。メスメルは弟子になりたいと言う、高い専門知識と社会的地位のある唯一の医者シャルル・デスロン(フランス語版)を見つけた。1779年、デスロンの励ましもあって、メスメルは88ページの本『動物磁気の発見に関する覚え書』 (Mémoire sur la découverte du magnétisme animal) を書き、そこに27の命題を書き添えた。その命題は当時のメスメルの理論の要点を述べたものだった。 デスロンによると、メスメルは健康を、体内の何千のチャンネルにまたがる生命作用の自由な「流体」の流れと理解していた。病気はこの「流体」の流れが阻害されることによって起こる。これらの障害の克服と「流体」の流れを回復させることが健康を回復させる重大局面である。自然が自発的にそれをすることを失敗した時、動物磁気の導体での接触が必要十分な治療となる。メスメルは自然の努力を助けるか、刺激した。たとえば、正気でない人々の治療は狂気の発作を伴うが、磁気の長所は危険なしにそのような重大局面を早めることである。
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