桜桃忌とは? わかりやすく解説

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おうとう‐き〔アウタウ‐〕【桜桃忌】

読み方:おうとうき

昭和23年19486月39歳愛人入水自殺した小説家太宰治忌日遺体発見され6月19日命日とし、墓のある東京都三鷹市禅林寺法要が行われる。作品「桜桃」による命名。《 夏》

[補説] 6月19日太宰誕生日でもある。


桜桃忌

読み方:オウトウキ(outouki)

太宰治忌日

季節

分類 宗教

月日 六月十三


桜桃忌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:07 UTC 版)

太宰治と自殺」の記事における「桜桃忌」の解説

太宰初七日の頃から、太宰友人知人の間から年に一度皆で集まって太宰偲ぶ会行おうとの声が挙がった結局太宰の死の翌年1949年太宰遺体発見された日であり、誕生日でもある6月19日に初の桜桃忌が開催された。名称は「メロス忌」等の案も出されたものの、太宰晩年の作品「桜桃」にちなん今官一提案した「桜桃忌」となった。これは桜桃太宰故郷津軽代表する果物であるとともに鮮烈な太宰生涯珠玉のような短編作家というイメージ合致したからであった当初、桜桃忌は太宰友人知人行われるささやかな催しであった太宰友人である亀井勝一郎取り仕切り小山清太宰弟子事務方担い太宰遺族招き太宰墓所である禅林寺集って酒を酌み交わしサクランボつまみながら、太宰思い出話花を咲かせるのが常であった1949年50年頃は太宰死後間もなくであったこともあってかなりの参列者があったものの、その後は約3040名の参加者となっていた。 ところが1957年頃から太宰ファン参加急増する筑摩書房から太宰治全集刊行され中学校国語教科書多く走れメロス採用されたことによって世間では爆発的な太宰ブーム起きていた。若者中心とした膨れ上がる参加者従来事務局体制では間に合わなくなって、桜桃忌は筑摩書房主催するようになった1965年以降、桜桃忌の運営筑摩書房側の要請伴って太宰弟子たち結成した世話人会運営するようになった。また1965年以降、桜桃忌に合わせて太宰治賞選考結果受賞発表受賞者挨拶が行われるようになった1960年代から80年代にかけて、若者中心とする熱心な太宰ファンにより、桜桃忌は毎年数百人の参加者集め一大イベントとなった1960年代後半には季節の恒例行事ひとつとして桜桃忌が俳句歳時記掲載されるようになった太宰弟子たち高齢化に伴い1992年最後に世話人の会は解散したが、その後6月19日には各地から太宰ファン集まり墓前太宰偲ぶ形で桜桃忌は続けられている。

※この「桜桃忌」の解説は、「太宰治と自殺」の解説の一部です。
「桜桃忌」を含む「太宰治と自殺」の記事については、「太宰治と自殺」の概要を参照ください。

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