桜の馬場とは? わかりやすく解説

桜の馬場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 03:30 UTC 版)

高松城 (讃岐国)」の記事における「桜の馬場」の解説

かつてはL字型であったが、その後半分現在の中央通り敷地になるため埋め立てられた。その名のとおり植えられ馬場があった地であり、現在は春になる桜の花見の名所になっている寛文11年1671年)の大改修までは桜の馬場の南中現在の南西隅)に大手門があったが、御殿であった旧披閣が三の丸移されたためこれを廃し新たに桜の馬場東端旭橋と旭門を設けた。桜の馬場内には虎太鼓櫓などがあったが現在ではそのいずれも残っておらず、現在ある艮櫓1965年昭和40年)に高松市東の丸から太鼓櫓跡に移築したのである1985年まではさぬき高松まつりイベント会場として使われていた。現在はその役目中央公園譲っている。 2020年東京オリンピックの聖火リレーセレブレーション会場となった聖火ランナー公募により1万程度選ばれた、聖火リレーについて、組織委員会スポンサー企業4社と各都道府県実行委員会が行ったランナー公募延べ535717件の応募があったと発表した。 桜の馬場曲輪艮櫓丑寅)(重要文化財) 旭門と旭橋門跡艮櫓 旭門は枡形となっている 外枡形虎口の例

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桜の馬場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 21:47 UTC 版)

馬場」の記事における「桜の馬場」の解説

日本各地には「桜の馬場」という地の名称だけでも、各地にあり、名のルーツとしては、江戸期各地の藩にあった馬場で、多く馬場の堤に植えたのでその名がつけられた。 たとえば、地名では広島県福山市には桜馬場町地名として残り、「福山藩過ぎたるもの三つ藩主墓所と桜の馬場に・・」と謡われる。 佐賀県唐津市には地名とともに桜馬場遺跡がある。 近畿三十六不動尊霊場岩屋寺所在地京都府京都市山科区西野山桜の馬場町である。 1964年住居標示施行により中庄二丁目一部にあるまで大津市膳所中ノ庄町小字馬場町があった。桜馬場自治会のある地域は、旧膳所藩本多7万石城下町一部で、かつて藩主馬場があり桜の名所であったことから旧町名桜馬場名付けられ自治会名はそれに由来している。 熊本城には桜の馬場 城彩苑がある。由来熊本市広報市政だよりくまもと 2006年12月号 / 熊本城みてある記(8)詳しく掲載されている。 榴岡公園前身 = 桜の馬場である。 高松城 (讃岐国)小牧山#小牧市歴史館(小牧城)などに設置されていた。 七尾城址には桜馬場石垣が残る。 松代城には花の丸南側の桜の馬場の他、御蔵屋敷北側には紅葉の馬場があった。 長者山新羅神社では社殿改築時に桜の馬場を開設し例祭打毬奉納するようになった神明天祖神社東側一帯は、昔周囲桜の木植えた馬場があって「桜の馬場」と呼ばれていた。 富士山本宮浅間大社楼門前には、東西伸びる「桜の馬場」があり、神事流鏑馬式などに用いられる石岡神社でのだんじり御輿は、未明から早朝にかけて桜の馬場とよばれる神社境内広場集まり行われる

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