松竹入社とは? わかりやすく解説

松竹入社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 01:59 UTC 版)

桂小金治」の記事における「松竹入社」の解説

二つ目になった後、小金治ファンでもある松竹大船撮影所川島雄三監督小金治出演していた東京神田寄席立花』を訪れ、そこで直々に川島誘われて抜擢される。そのとき川島雄三師匠小文治に「良い噺家一人ダメにします。お許しください」と手をついたという。一本目の映画『こんな私じゃなかったに』に出演拘束時間1日ギャラ5千円だった。映画好評で、川島により起用され続け単発契約で何本か出演した。 それらも好評で、川島所属する松竹小金治専属契約結びたい考え小金治に対して映画出演一本あたりのギャラ提示したそのとき松竹片手の指5本を開いて示した。もともと映画一本ギャラが5千円という約束だったので、小金治当初これを「5千円」と解釈し自分一月稼ぎより多いと考えていたら、実は「5万円」という意味だったので驚喜した。ちなみにこのときの条件は「年間6本の出演義務であった(よって年収30万円)。念のため師匠小文治に「契約したほうがいいか断るべきか」を聞きに行くと、即座にアホ! 落語やってたら、そんな金、一生かかってもようもらえんで…」と返されたという。結果松竹との専属契約は無事締結された。 今度はいずれも軽い役でなく、長い日数拘束されるスケジュール上なかなか寄席出られないことから、日本芸術協会から事実上脱会態となった。以降フリー落語家となり、落語家としてはどこの協会にも属していない。しかし師弟関係大事にし、小金治終生にわたり小文治を師匠仰いだ小金治が名を返そう小文治のもとを訪問すると「アホ! 師匠に『名を返す』なんてお前いつから偉くなったんじゃ? 師匠が名を取り上げるのでもあるまいに…。小金治これからもしっかりやりや」と、師は小金治に名を返上しなくていいと告げた。そのため、落語家としての名も返上していない。 松竹時代川島雄三監督長く小金治起用し続けた。しかし、1954年川島日活単身移籍しコンビ解消。だが、その川島今度東京映画東宝系)に移ると、小金治1959年東宝移籍し、再びコンビ組み活躍1961年今度小金治日活単身移籍しコンビ解消その日活ではスターとして迎えられ1962年から1963年にかけて4本の主演作残している。他は脇役多くその日活には1965年まで在籍。そこの大部屋俳優桂小かんは(俳優としての弟子である。

※この「松竹入社」の解説は、「桂小金治」の解説の一部です。
「松竹入社」を含む「桂小金治」の記事については、「桂小金治」の概要を参照ください。

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