松竹新喜劇
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松竹新喜劇(しょうちくしんきげき)は、松竹傘下の喜劇劇団。同じ上方を本拠地とする吉本新喜劇のコント主体の軽演劇と異なり、ときに涙を誘う物語性のある人情喜劇を売りにしている。
- ^ 世相風俗観察会『増補新版 現代世相風俗史年表 昭和20年(1945)-平成20年(2008)』河出書房新社、2003年11月7日、28頁。ISBN 9784309225043。
- ^ 初代天笑は1984年に休団、俳優としてテレビドラマに出演していた。
- 1 松竹新喜劇とは
- 2 松竹新喜劇の概要
- 3 旧座員
松竹家庭劇
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1928年(昭和3年)、小織桂一郎、石河薫らとともに松竹家庭劇の結成に参加、最高幹部女優部に昇進した。1936年(昭和11年)10月には、京都・南座での渋谷天外(館直志)、曾我廼家十吾(茂林寺文福)らを中心にした松竹家庭劇の公演に出演した記録が残っており、愛子の名は女優の筆頭に掲げられ、浪花千栄子らがそれに続いた。家庭劇はおもに喜劇を主流としていたが、劇作家の長谷川幸延は、家庭劇当時の愛子をのちに回想し「小柄でいつまでも美しかった」と評している。 1937年(昭和12年)9月から始まった国民精神総動員運動の流れを受けて、同年10月、愛子は松竹の白井信太郎に国防婦人会の分会結成を訴え、白井は国防婦人会松竹分会の結成を奨励、国防婦人会館で結成式を行う旨の報道が『京都日出新聞』(同年10月20日付、現在の『京都新聞』)に掲載されている。愛子は分会長に就任、石河薫と関西新派の瀧蓮子が副会長、会員には浪花千栄子、三條美奈子ら家庭劇の女優のほか、角座や浪花座の女子従業員を含めて約170名が、同分会に参加した。第二次世界大戦終結後、その翌年の1946年(昭和21年)、松竹家庭劇が分裂し、満47歳で劇界を引退した。義父の四代目市川荒五郎もすでになく(1930年没)、1948年(昭和23年)4月17日には義弟の三代目市川荒太郎も満36歳で世を去り、劇界との縁も絶えた。
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