東京映画
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東京映画株式会社(とうきょうえいが)は、かつて存在した日本の映画制作プロダクションである。1952年(昭和27年)5月27日に東宝の関係会社として設立、東宝が配給した映画「駅前シリーズ」等のコメディ映画を製作し、東京映画撮影所を稼働させた。東宝は東西両撮影所制を敷いた大映や東映、松竹(1965年京都撮影所閉鎖=部分的に別会社として存続活動後、大船閉鎖後ふたたび松竹撮影所として機能している)と異なり、戦前期に京都撮影所を閉鎖して砧撮影所に製作を原則一元化していたが、傘下の東京映画と宝塚映画は別に撮影所を持ち、盛期にはそれぞれ年間十本程度の作品を供給し続けている。ともに監督と俳優は東宝から供給されたが、技術スタッフは独自の機構を備えてそれぞれのカラーを発揮した。東京映画は、撮影所なのに皆ネクタイを締めている、と活動屋たちを驚かせた初期の東宝撮影所の社風を戦後まで引き継いだ紳士集団であったといわれる。
- ^ a b c 簡易合併に関するお知らせ、東宝、2004年6月22日付、2009年10月10日閲覧。
- ^ 「日本映画新社という会社 Archived 2009年6月2日, at the Wayback Machine.」、執筆重田一男、ニュース映画製作者連盟、2009年10月10日閲覧。
東京映画
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特筆以外すべて製作は「東京映画」、配給は「東宝」である。当時の本郷の所属は第一協団である。 『チャッカリ夫人とウッカリ夫人 やりくり算段の巻』 : 監督渡辺邦男、1954年3月10日公開 『二挺拳銃の龍』 : 監督小石栄一、製作東映東京撮影所、配給東映、1954年6月8日公開 - 黒沼元 『とんち教室』 : 監督渡辺邦男、製作東映東京撮影所、配給東映、1954年7月13日公開 - ドリルの政 『その後のチャッカリ夫人とウッカリ夫人』 : 監督春原政久、1954年8月15日公開 『見ないで頂戴お月さま』 : 監督中川順夫、製作えぬ・えすプロ、配給東宝、1954年9月17日公開 『結婚期』 : 監督井上梅次、製作クレインズ・クラブ、配給東宝、1954年11月16日公開 - 東畑六郎 『俺の拳銃は素早い』 : 監督野口博志、製作・配給日活、1954年12月28日公開 - 吉柳公一、94分尺で現存(NFC所蔵) 『次郎長遊侠傳 秋葉の火祭り』 : 監督マキノ雅弘、製作・配給日活、1955年2月28日公開 - 増川仙右衛門、90分尺で現存(NFC所蔵) 『めくら狼』 : 監督マキノ雅弘、製作・配給東宝、1955年3月1日公開 - 辰五郎 『次郎長遊侠伝 天城鴉』 : 監督マキノ雅弘、製作・配給日活、1955年5月3日公開 - 仙右衛門、96分尺で現存(NFC所蔵) 『虹の谷』 : 監督吉村廉・古賀聖人、製作新理研・第一協団、配給新東宝、1955年6月16日公開 - 役名不明、88分尺で現存(NFC所蔵) 『りゃんこの弥太郎』 : 監督マキノ雅弘、製作・配給新東宝、1955年6月13日公開 - 乾分勘十、94分尺で現存(NFC所蔵) 『若夫婦なやまし日記』 : 監督田尻繁、1955年9月13日公開 - 主演 『赤城の血祭』 : 監督マキノ雅弘、製作・配給新東宝、1955年9月25日公開 - おかめの勇的、94分尺で現存(NFC所蔵) 『人生とんぼ返り』 : 監督マキノ雅弘、製作・配給日活、1955年11月1日公開 - 太田、116分尺で現存(NFC所蔵) 『チャッカリ夫人とウッカリ夫人 夫婦御円満の巻』 : 監督青柳信雄、1956年1月8日公開 『チエミの初恋チャッチャ娘』 : 監督青柳信雄、製作・配給東宝、1956年2月18日公開 - 清水茂雄 『隠密七生記』 : 監督渡辺邦男、製作・配給新東宝、1956年3月27日公開 - 辰蔵 『幽霊タクシー』 : 監督小田基義、1956年6月14日公開 - 穴山平助 『暴力の王者』 : 監督内川清一郎、製作・配給新東宝、1956年6月14日公開 - 吉井元
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