昭和19年前半の行動とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 昭和19年前半の行動の意味・解説 

昭和19年前半の行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 03:40 UTC 版)

岸波 (駆逐艦)」の記事における「昭和19年前半の行動」の解説

1944年昭和19年1月19日空母雲鷹が米潜水艦雷撃大破し駆逐艦護衛サイパンから横須賀回航される。岸波沖波29日柱島泊地出港小笠原諸島周辺航行中雲鷹救援向かった雲鷹護衛中重巡高雄2月1日雲鷹合流)や他の駆逐艦合流した2月7日雲鷹岸波をふくむ護衛部隊は横須賀到着した2月10日夕雲型駆逐艦長波単艦になっていた第二水雷戦隊隷下第31駆逐隊駆逐隊司令福岡徳治大佐)に岸波沖波朝霜編入され、同駆逐隊夕雲型4隻となった福岡大佐は、31司令駆逐艦岸波指定した長波前年ラバウル空襲受けた損傷呉海軍工廠において修理中のため、第31駆逐隊当面3隻で輸送作戦投入された。 第31駆逐隊26日広島宇品出港しマリアナ諸島にむかう第29師団乗せた安藝丸11,409トン)、東山丸(8,666トン)、崎戸丸(9,247トン)の3隻を護衛した29日未明に米潜水艦襲撃され被雷した崎戸丸沈没安藝丸魚雷1本が命中して戦死者30名を出した崎戸丸沈没により歩兵18聯隊長門間健太郎大佐以下約2,000名が戦死生存者1720名で、歩兵第18連隊軍旗岸波移った岸波朝霜は米潜水艦攻撃朝霜の爆雷攻撃で米潜水艦トラウト撃沈した沖波東山丸安藝丸護衛しサイパン島グアム送り届けた岸波朝霜救助され崎戸丸生存者も、6日になりサイパン上陸した第31駆逐隊の3隻は横須賀帰投後、松輸送従事した3月20日東松三号特別船団輸送船3隻(浅香丸、山陽丸さんとす丸)を護衛して館山出港25日サイパン行の山陽丸分離し28日トラック泊地到着したその後第31駆逐隊船団護衛行い5月上旬リンガ泊地進出14日からはタウイタウイ方面対潜警戒従事した

※この「昭和19年前半の行動」の解説は、「岸波 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「昭和19年前半の行動」を含む「岸波 (駆逐艦)」の記事については、「岸波 (駆逐艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「昭和19年前半の行動」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「昭和19年前半の行動」の関連用語

昭和19年前半の行動のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



昭和19年前半の行動のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの岸波 (駆逐艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS