明治初期の統計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 14:05 UTC 版)
以下明治以降、東京十五区成立までの朱印内と東京府の本籍、現住人口をまとめる。本籍人口に関しては皇族を含まない数値を採用した。また族籍別人口は脚注参照。 元号年月西暦年月人口統計朱印内東京府出典・備考合計男女合計男女明治2年旧暦4月 1869年2月 本籍人口 503,703 260,936 242,767 東京市史稿(朱印内市中五十番区は武家地, 寺社地を除く) 明治3年旧暦閏10月 1870年11月 本籍人口 672,748 342,768 329,980 東京市史稿(族籍別人口) 明治3年〜4年中(但し廃藩置県前) 1870〜1871年 本籍人口 674,269 統計集誌(族籍別人口) 本籍人口 674,447 府藩県石高人口表(原史料では明治2年旧暦1月1日(1868年11月19日)調) 本籍人口 674,269 明治史要(原史料では明治4年旧暦7月14日(1871年8月29日)調) 明治5年旧暦1月29日 1872年3月8日 本籍人口 494,146 249,310 244,836 779,339 392,045 387,294 東京市史稿 現住人口 859,345 446,728 412,617 維新以降帝国統計材料彙纂 明治5年中 1872年中 本籍人口 507,015 東京府志料 現住人口 578,290 299,006 244,836 882,232 明治6年1月1日 1873年1月1日 本籍人口 513,305 256,888 256,417 813,480 407,777 405,703 日本地誌提要, 維新以降帝国統計材料彙纂 現住人口 595,905 310,050 285,855 887,322 458,467 428,855 明治7年1月1日 1874年1月1日 本籍人口 830,917 415,677 415,240 維新以降帝国統計材料彙纂 現住人口 932,458 482,567 449,891 明治7年中 1874年 本籍人口 516,732 258,639 258,093 東京一覧 現住人口 593,673 894,262 明治8年1月1日 1875年1月1日 本籍人口 853,262 426,656 426,606 維新以降帝国統計材料彙纂(『日本全国戸籍表』の東京府本籍人口は85万5251人) 現住人口 986,091 517,564 468,527 明治9年1月1日 1876年1月1日 本籍人口 870,641 435,854 434,787 維新以降帝国統計材料彙纂(『日本全国戸籍表』の東京府本籍人口は87万3622人, 族籍別人口) 現住人口 1,027,517 543,958 483,559 明治10年1月1日 1877年1月1日 本籍人口 890,681 447,711 442,970 東京府管内統計表(族籍別人口, 『日本全国戸口表』の東京府本籍人口は87万7027人) 現住人口 716,728 370,056 346,672 1,047,594 539,643 507,951 東京府統計表(族籍別人口) 明治11年1月1日 1878年1月1日 本籍人口 595,424 297,315 298,109 914,321 459,263 455,058 東京府統計表(族籍別人口, 『日本全国戸口表』の東京府本籍人口は88万1421人) 現住人口 736,819 383,035 353,784 1,072,560 555,049 517,511 勝海舟は明治維新の前後で江戸から消えた人口は、駿府へ徳川家と一緒に移った者約1万4000家7万人、武家奉公人約2万家10万人、横浜等へ移った町人約5000家2万〜3万人であると『吹塵録』の中で記載している。勝海舟の記載に従うと、戊辰戦争を境に約20万人の人口が流出したことを意味する。 鮫島龍行(1962年)は慶応3年(1867年)の江戸の総人口を町方人口(53万9618人)の倍の108万人と推定し、そこから20万人を引いた88万人を明治2年(1869年)の東京の人口と推定した。 井上修次は、明治5年(1872年)の壬申戸籍において武蔵国の人口が194万3211人であり、東京を除く埼玉県、東京多摩地区、神奈川県の一部は周辺の旧国の人口から考えて60万〜100万人の範囲内であり、同年の東京の人口は90万〜130万人の範囲内であると推定した。
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