旧石器時代の住居跡とは? わかりやすく解説

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旧石器時代の住居跡(梨田地点)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 22:52 UTC 版)

はさみ山遺跡」の記事における「旧石器時代の住居跡(梨田地点)」の解説

1986年昭和61年)の発掘調査では、後期旧石器時代(3万年 - 1万3000年前)の竪穴住居跡と見られる遺構検出された。 住居跡は、深さ約0.3メートル半地下式で、竪穴内部には1.0 - 1.7メートル間隔をおいて直径14 - 22センチメートル柱穴ピット)が7個あり、その外側には浅い溝がめぐらされていた。住居範囲は、東西直径約6メートル南北径5メートル深さ0.3メートル渡り、その形状楕円形合計13であった推定されている。なお、柱穴は円をなして並び、各柱穴がその円の中心向かって斜めに掘られており、これに木を差し込む上方でその中心に集まる角度になっていた。すなわち、東西約6メートル円錐状の竪穴住居復元できる。遺物としては、約2万年前のナイフ形石器翼状剥片石核等が出土した。なお、沢をはさんだ住居東側からは、長径2.7メートル×短径1.6メートル楕円形土坑が見つかっており、これは土坑墓ではないか推定されている。 日本列島の旧石器時代人の生活・居住痕跡は、通常台地上の平場などにおいて、石器剥片・礫などの石片集中した領域ブロック)が、複数集合したブロック群ユニットとも)」と呼ばれる遺構として検出されるブロックは、人々簡易な住まいを建て、その内外で石器製作や調理物品加工などの生活を行った痕跡考えられている。 このことから当時の人々は、集団テントのような簡易な住まい居住し狩猟採集移動繰り返す遊動生活」 をしており、長期定住的な集落形成しなかったため、大きな柱穴ピット)や地面への掘込みを伴う堅牢な住居竪穴住居平地住居)もあまり建築しなかったと考えられている。したがって柱穴掘り込みを伴うはさみ山遺跡住居遺構は、この時代のものとしてきわめて稀少なものである。 なお、この旧石器時代住居および土坑検出地点は、当時プロ野球近鉄バファローズ捕手であった梨田昌孝が、自宅商業ビルとして建設していた建物建設予定地であったため、大阪府教育委員会によって「はさみ山遺跡梨田地点」(はさみやまいせきなしだちてん)と命名された。 調査時に採取した旧石器時代住居跡土層剥ぎ取り断面は、資料として大阪府立近つ飛鳥博物館展示されている。

※この「旧石器時代の住居跡(梨田地点)」の解説は、「はさみ山遺跡」の解説の一部です。
「旧石器時代の住居跡(梨田地点)」を含む「はさみ山遺跡」の記事については、「はさみ山遺跡」の概要を参照ください。

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