方針転換、宮崎駿ら参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 03:01 UTC 版)
「ルパン三世 (TV第1シリーズ)」の記事における「方針転換、宮崎駿ら参加」の解説
それまでの製作が大隅に全てを預け任していたような状態だったことから、大隅の降板は重大な出来事となり、「大隅さんが降りるなら」と脚本家数人も降板することとなった。 岐路に立たされた大塚は、東映で一緒に子供向けアニメを作っていた高畑勲と宮崎駿(当時東京ムービーの専属下請け会社であったAプロダクション〈現・シンエイ動画〉に在籍していた)2人に演出を依頼した。 両名は以後原作の影響の強いハード・タッチの作風を中盤以降、徐々に低年齢層向けに軌道修正していく。しかし、大隅降板時点ですでにほとんど完成していたフィルムや、それ以前に発注済だった脚本・絵コンテ・作画もあったため、どこまでが大隅演出でどこからがAプロダクション演出かは、厳密には区別できない。高畑・宮崎両名で出来うる限りコンテや脚本を見直したりしたが、時間的に変更が不可能だった話もあったためでもあった(一応、演出クレジットは1-6、9、12話が大隅正秋名義となっている)。4-8、10-12話は高畑・宮崎コンビによる部分直しやコミカルな演出で、一般的にはAプロ演出と思われている7話の後半は大隅の指示を受けた出崎統によるもの、6話と9話は基本的には大隅演出のままということである。ストーリー的には、犯罪者を主人公とすることを嫌う高畑にはどうしても6話と9話は大きく変えることはできなかったと本人が回想している。完全にAプロダクション演出になったのは、宮崎によるキャラクターの性格変更が行われた13話以降であるが、絵は大隅演出時代のものと思しきものも流用されている。 宮崎は後年、大隅時代からAプロ時代のルパン像の変化を、“富裕の倦怠を紛らわすために泥棒をする退廃したフランス貴族の末裔から、常にスカンピンで何かオモシロイことはないかと目をギョロつかせているイタリア系の貧乏人への変化”と称している。高畑・宮崎コンビ演出のルパンは、視聴率は9%程度と序盤よりは安定していったものの、約半年後の全23話で放送が打ち切りとなった。だが、関係者の証言によると当初から2クール、26話の予定で制作されていた為、実際には3話分が減らされた状態だったという。
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