ルパン三世 (TV第1シリーズ)
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『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』(ルパンさんせい)は、モンキー・パンチの漫画を原作とするアニメ『ルパン三世』の作品群のうち、1971年10月24日から1972年3月26日まで放送された日本のテレビアニメを指す。映像上の題名は『ルパン三世』。同シリーズで初めてアニメ化された作品[注 1]であり、読売テレビ(よみうりテレビ)が制作し日本テレビ系列局で放送された。
注釈
- ^ パイロット版を除く。
- ^ 2代目オープニングではパイロットフィルムからの流用で赤いジャケットを着ているカットがある。
- ^ 本作以降ルパンは次作『TV第2シリーズ』とほぼ全てのテレビスペシャルは赤(原作漫画は赤)、『TV第3シリーズ』はピンク、テレビスペシャル『トワイライトジェミニの秘密』は白、『TV第4シリーズ』『TV第5シリーズ』は青のジャケットをそれぞれ着用する。また、緑ジャケットは時折、「昔のルパン」のイメージとして登場したり(『ルパンVSコナン』の回想シーンなど)、未来のルパンの子孫(ルパン三十三世)が着ている作品もある(『霧のエリューシヴ』)
- ^ 当時のアニメーションはほとんど動いておらず、漫画の方がよっぽど動いて見えた。そのため、アニメ化され漫画よりクオリティの低いであろうルパン三世を原作のファンが見ると失望しルパン三世から離れ、ルパン三世という作品そのものがおじゃんになってしまうかもしれないとモンキー・パンチは考え、アニメ化には反対していた。
- ^ 『ほびーワールド計画』第35回放送「祝!!30周年 COBRAの魅力を探れ!!」(2008年6月、関西テレビ☆京都チャンネル)。OVA『COBRA THE ANIMATION』ザ・サイコガン 1巻に特典映像として収録。
野沢はルパン役を希望していたが叶わず、後年にオファーを受けたアニメ作品『スペースコブラ』を快諾した。ルパン三世とコブラの関係性については、コブラ_(架空の人物)#声優の節も参照のこと。 - ^ 両者が仕事を引き受けたのは、当時、Aプロは東京ムービーの下請けをやっており、旧知の間柄の大塚が困っていたからである。なお、仕事を請ける際の条件が「匿名で」ということだったため、「Aプロ演出グループ」と名乗り、2人の名前はクレジットされていない。 「その話が決まったとたんテレビ局の会議室に引っ張り出されましてね、行くとテーブルの向こう側にスポンサーや放送局などの人間がズラリ、こちら側は東京ムービーの社長始め、僕たちが並んだ訳です。その会議室が、また凄まじくてね。『どうしてくれるんだ、コラッ!!』『こんな物作って子供たちは分かるか!!』と言った罵詈雑言のオンパレード。こちらは只ただ頭を下げるんですが、東京ムービーの社長など『ハハッ!』 って平伏しっぱなし(笑)。こりゃ、大変なところに足を踏み込んじゃったなぁ、とその時ツクヅク思った物でした。」 宮崎駿「大阪アニメポリスペロ・2周年記念講演」(大阪曽根崎新地東映会館、1982年7月27日)
- ^ レギュラーが4人の期間:第1話、4話。レギュラーが5人の期間:第8話、13話、14話、15話、17話、18話、23話。
- ^ 当時はドライブ等で大塚の車をよく見ていたため、宮崎も描きやすかったという事情もあった。また、宮崎の個人的な車の好みも反映した模様であり、後年のインタビューでは「ベンツSSKって、ナチスの親玉じゃあるまいし、そんなんでかっこいいと思ってる奴は好きじゃないです」、「スーパーカーって大嫌いです」とコメントしている(雑誌『熱風』2009年2月号より)。
- ^ オープニング映像のテロップでは「ルパン・ザ・サードの歌」と表記
- ^ パーカッションやSEが被せられているので、厳密にはオリジナルそのままの音ではない。これは『テレビオリジナルBGMコレクション』のためのオーバーダビング作業の過程で残された音源と推定されている。
- ^ ただし、『TV第2シリーズ』は琉球放送で放送された。
- ^ 刑務所の独房に収監されたルパンが「俺はルパンじゃない!」としきりに叫び続けることに看守が業を煮やし、「バカ!気違い!」と怒鳴る場面のセリフは、「バカ!」の一言のみになっている。また、和尚に変装した次元が「気でも違ったのか?」とルパンに訪ねる場面のセリフは、「まさか、自棄になっちまったんじゃ…」に変更されている。
出典
- ^ “ルパン三世 1st series”. Amazon.co.jp:Prime Video. 2021年6月4日閲覧。
- ^ “ルパン三世 PART1”. ルパン三世 | TMS作品一覧 | アニメーションの総合プロデュース会社 トムス・エンタテインメント. 2021年6月4日閲覧。
- ^ BOXの解説書より
- ^ a b 飯岡順一『私の「ルパン三世」奮闘記 アニメ脚本物語』河出書房新社、2015年。ISBN 4309275591。
- ^ 徳間書店「山田康雄メモリアル」内、おおすみの「追悼コメント」より
- ^ 「ルパン三世連載開始35周年記念スペシャル企画!モンキー・パンチ、大塚康生、おおすみ正秋、納谷悟朗、特別対談」『ルパン三世officialマガジン』、双葉社、2002年8月。
- ^ 映画秘宝:Movie Treasure Vol.5 「夕焼けTV番長」ISBN-10 : 4896912187 1996年
- ^ “まんま「ルパン三世」なジャン=ポール・ベルモンド! 有名作品の“意外な元ネタ”ほか解説!「傑作選」第3弾開催 | BANGER!!!(バンガー) 映画愛、爆発!!!”. BANGER!!!(バンガー) 映画愛、爆発!!!. 2023年9月21日閲覧。
- ^ 文芸担当だった飯岡順一の証言によると大隈の降板時に発注されていた脚本は放送分も含めて23本、コンテ制作、作画作業中だったりフィルムが完成していた作品は12話までだったという(『ルパンと共に35年』より)。
- ^ 「ルパン三世officialマガジン」VOL.2より
- ^ “過去の視聴率 アニメ高世帯視聴率番組”. ビデオリサーチ. 2022年10月18日閲覧。
- ^ 「宮崎駿著、『出発点』「ルパンはまさしく時代の子だった」より、初出は『アニメージュ』。
- ^ a b 『ルパン三世 ザ・ファースト・シリーズ・アンソロジー』(2003年、コロムビアミュージックエンタテインメント)の楽曲解説より
- ^ a b 『GUY'S HEART -Charlie's Lupin Songs-』(2002年、バップ)のライナーノーツにおける本人コメントより
- ^ 映画秘宝 Vol.23
- ^ DVD-BOXやCD『ルパン三世 ザ・ファースト・アンソロジー』のライナーノーツ、アニメの“音”を求めて 早川優 第1回「『ルパン三世』幻のオープニング曲/WEBアニメスタイル」(2012年5月4日閲覧)より
- ^ “書籍(ムック本)情報ページ”. 『ルパン三世』1stシリーズ DVDコレクション. 講談社. 2018年5月24日閲覧。
- ^ 「チヤンス」は映像どおり。
- ^ 『ルパン三世研究報告書』スタジオバード 1999年 双葉社刊
- ^ http://www.the-syrup.com/bbs/index.php?mode=past&pno=3 ザ・シロップ公式掲示板2007/07/26(Thu) 21:42の書き込みより。
- ^ 『河北新報』1971年10月24日 - 1972年3月26日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1972年4月18日 - 1972年9月19日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『毎日新聞』1971年10月24日 - 1972年3月26日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 1976年1月14日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ^ 1976年1月14日、6月16日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ^ a b 『北國新聞』1971年11月7日付朝刊、テレビ欄。
- ^ “ルパン三世<HVリニューアルマスター版>”. WOWOW. 2004年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月10日閲覧。
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