新しい信仰形式、清貧、巡礼、神の平和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 08:39 UTC 版)
「民間信仰」の記事における「新しい信仰形式、清貧、巡礼、神の平和」の解説
10世紀末ごろから、従来の信仰形式とは異なった、いくつかの大衆的な宗教運動が現れた。このころ従来の修道院とは異なった形で、よりイエスのあり方に近い修道生活を目指す運動がおこった。この運動の淵源は東ローマ帝国に近い、南イタリアのカラブリア地方のギリシア系修道士たちの生活に端を発し、南イタリアにイスラム教徒が攻撃を加えるようになると、彼らは難を避けて北上した。11世紀になると全ヨーロッパ規模で、この新しい運動に基づいた修道院設立が活発化した。とくに影響が大きかったのは13世紀に現れたアッシジのフランチェスコで、彼の清貧運動には在俗の多くの信者が共感し、ともに貧しい生活を営んだ。同時期に同様に清貧を唱えた異端のワルドー派も多くの在俗信者を獲得した。このように聖職者の貴族的な共同生活であった修道生活が、イエスの清貧という理想を通じて、民衆の間に広く受け入れられた。 またこのころ、聖遺物や聖人に対する崇敬が高まり、各地に収められた聖遺物や聖人の故地への巡礼がさかんとなった。サンティアゴ・デ・コンポステーラや聖地エルサレムへの巡礼は大衆運動となった。のちには十字軍運動と結びついて、多数の信者が十字軍に参加したり、特に少年十字軍に代表されるように、自発的に大衆の十字軍が組織されたりもした。西ヨーロッパの交通網は11世紀までにまず聖地のネットワークとして形成され、徐々に定期市や港湾にネットワークを広げ、その拠点には金融市場が形成されるようになった。こうして成立した中世の交通網は古代のローマ帝国の街道網とはかなり異なったものであった。
※この「新しい信仰形式、清貧、巡礼、神の平和」の解説は、「民間信仰」の解説の一部です。
「新しい信仰形式、清貧、巡礼、神の平和」を含む「民間信仰」の記事については、「民間信仰」の概要を参照ください。
- 新しい信仰形式、清貧、巡礼、神の平和のページへのリンク